昭和二二年四月、戦後の混乱と物資欠乏のなかに故郷に迎えられた杉谷梅一は、漁村の民主化に燃える尾札部村の公選初代村長に就任し、故郷の発展を心に期して村政に取り組んだ。国も村もすべてが新しく出発するときであった。制度を新しく塗りかえていく仕事が多かった。この年の秋、臨時国勢調査が実施されたとき、尾札部村六、九七一人、臼尻村五、五九一人であった。六・三制と呼ばれて誕生した新制中学(磨光中・木直中・古部中)の新設は、杉谷村政一期目の大事業であった。戦後は、国内のあらゆる物資が欠乏していた。なかでも食糧難はもっとも厳しい時代であった。主食である配給米の輸送確保も村長の大事な仕事であった。昔からの補食としての「いも」を増産する農事の奨励も重要なことであった。農地解放は事務的な手続きや法の理解の上でも労の多いものであった。