北越村長略歴

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 昭和二二年、推されて村長公選に立候補。圧倒的多数の票を獲得して当選。時に三二歳。青年村長としての期待に応えて戦後の苦難な村政の諸問題に取り組んだ。
 北越栄三村長は、大正四年、臼尻村字臼尻に生まれた。
 北越栄吉二男で、臼尻尋常高等小学校を卒業。昭和四年、臼尻村役場に勤務した。この年六月、駒ケ岳噴火があり、災害復旧に奔走。昭和一二年、渡島支庁に勤務した。
 昭和二二年、この年の臨時国勢調査で臼尻村人口六、九七一人。
 戦後の物資欠乏の中での村政は、財政も厳しく、制度の改変も多かったが、村議会との協議もよく徹底され、北越村政は難問の解決に努力していった。
 漁業生産の向上と食糧増産のための農事の奨励、復員や引揚者の援護活動など課題は多かった。
 昭和二三年二月、臼尻小学校失火。屋体をのこして二階建校舎全焼。四五三・五坪焼失。
 とくに欠乏している建築材の確保のため、村有林をあて、どうしても不足な分は道内材、秋田材を手に入れなければならなかった。先ず仮校舎を建てる。将来性を考えて従来の校地では狭隘なので、裏山の段丘に移転したいということになった。〓の杉山が適当というので所有者の協力を得る。
 函館市へ直通する大船川沿いの、産業道路の開発を計画して陳情。
 昭和二四年、資材の調達など多くの労苦の末、臼尻小学校新校舎竣工。工費八二〇円。
 同五月、大船中学校(併置)建築。
 新制中学についで高校の新設を要望する声大きく、森高校の分校として定時制高校の開校をみた。
 任期半ばの昭和二四年一一月、深く期するものあり、蛯谷金作議長ほか有志の諒解をえて村長を一一月一六日辞任。後事を鈴木慶一助役に託して、再び道庁職員として釧路支庁総務課長に転出した。
 のち昭和三四年本庁に勤務、文書課長、同三五年学事課長を経て三六年土木部管理課長、昭和三八年北海道町村会事務局長、同五一年社会福祉法人渡島福祉協会理事長兼務、同五二年北海道行政協会理事長兼任、同年町村会を退任、財団法人北海道自治振興センター理事長、同年北海道国民健康保険団体連合会理事長として活躍する。