合併決議までの経過

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 昭和三三年一二月一五日、三村議長協議会が開かれたが、一挙に合併することは困難であることから、合意可能な臼尻尾札部二か村を合併したのち鹿部を合併するという段階合併案も、その結論をえないで散会となった。
 三四年三月九日、支庁長招集の三村議会代表との協議会がもたれた。鹿部は合併反対の村内事情が、進展も好展もしなかった。
 未合併町村に対する国の最終処理方針などに対して、道はここで結論を出す時期と判断した。
 三月一四日、新内地方課長が現地出張して段階合併に踏切ることの合意をとり決め、一七日、臼尻尾札部両村議会代表による事前会議がひらかれて、一九日に両村議会でそれぞれ議決したうえ申請することに決まった。
 このとき両村住民の反応は微妙に異なる動きとなっていった。尾札部村は当初から、三つの赤字の村が合併することの将来に不安をのこしつつも、村政懇談会では三村合併が困難であれば、段階合併も止むなしとの了解を得ることができた。
 臼尻村は、段階合併に至る経過の周知が不充分だとの声が一部村民の間に高まり、臼尻豊崎地区では、住民集会が開催され、あくまで原案通り三村合併の実現に努力するようにとの要望書が村長、村議会に提出された。
 臼尻村では、支庁に連絡をとり、同一九日に合併の決議をするとしていた日程を、事態収拾のため若干余裕をとり、二六日まで延期することとなった。村長・地元出身議員は東海(臼尻)豊崎地区住民の説得にあたった。しかし、予想外に反対の意見が硬化していて、理事者側は、一時、合併断念を想定した。
 理事者側は、さらに「三村合併は捨てたのではない。道は将来鹿部も必らず合併することを確信している」と説得して、三月二四日に至って、ようやく住民の理解をとりつけることができた。

臼尻村・尾札部村合併成る 左 臼尻村議会議長 蛯谷金作 右 尾札部村議会議長 藤本種八 昭和34年3月