広報「ふるさと」(昭和五一年)

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 佐藤町長は、文筆にも独自の見識をもっていて、公文書や広報記事の文体、句読点についても赤鉛筆を入れた。
 広報「みなみかやべ」は第一三五号(昭和五一年九月)から「ふるさと」と改題。「分かりたい、利用したい、言いたい、皆でつくる、お知らせ」の五つの内容により編集した。
 改題した広報「ふるさと」の名称は、町の広報としては初めてだが、町の福祉部町民課で昭和四八年二月から出稼地へ送っていた「南茅部町ふるさとだより」にその先例がみられる。改題は、佐藤町長が町政の理念とした「町づくり・人づくり・心づくり」を、家庭へ配布される広報に先ず象徴化したものである。表紙の大小の写真の組み合わせもこのときから始まる。広報ふるさとは、二〇〇号からA4判と判が大きくなる。活字も大きくして読み易くということで、写真・図表が多くとり入れられる。

改題第一号広報「ふるさと」No.135昭和51年9月