スポーツセンター(昭和五八年)

576 ~ 577 / 1210ページ
 数かずの業績と新しい時代の南茅部の基盤を築いた佐藤町政の終盤は、激動という言葉にあたる動揺のうちに暮れた。
 ひきがねは、造船鉄工公社の経営難であった。そして最大の動揺はスポーツセンターの建設問題であった。
 町長も町議会もすべてよかれと着想し、国・道の関係者と計画をすすめたスポーツセンターの建設が、立地条件の問題で建設の反対運動となり「総合体育施設を考える会」(会長竹中誠)により署名運動となった。
 考える会は三、九七二名の署名を添えて、六月一〇日、町長ならびに町議会に陳情書を提出した。
 佐藤町長は町内全地区で説明会をおこない、町議会議員協議会を開催して原案の位置による建設の促進を確認、町議会(六月)定例会に補正予算の議決を得た。
 任期末の八月一七日、ついに自から起工式の鍬を入れて、その三期一二年、町長の任期を満了した。

消防団夏季演習(助役時代)


庁舎起工式


まちの声を聞く会


江崎長官大雨災害視察(48年)


“春夏秋冬”ロケ 52年


スポーツセンター起工式(58年)