ひきがねは、造船鉄工公社の経営難であった。そして最大の動揺はスポーツセンターの建設問題であった。
町長も町議会もすべてよかれと着想し、国・道の関係者と計画をすすめたスポーツセンターの建設が、立地条件の問題で建設の反対運動となり「総合体育施設を考える会」(会長竹中誠)により署名運動となった。
考える会は三、九七二名の署名を添えて、六月一〇日、町長ならびに町議会に陳情書を提出した。
佐藤町長は町内全地区で説明会をおこない、町議会議員協議会を開催して原案の位置による建設の促進を確認、町議会(六月)定例会に補正予算の議決を得た。
任期末の八月一七日、ついに自から起工式の鍬を入れて、その三期一二年、町長の任期を満了した。
消防団夏季演習(助役時代)
庁舎起工式
まちの声を聞く会
江崎長官大雨災害視察(48年)
“春夏秋冬”ロケ 52年
スポーツセンター起工式(58年)