夏、水揚げする養殖コンブに大量のホタテの稚貝三ミリメートルが着生していた。コケムシ除去の作業中、これを集めて自家用に供する漁家もあった。
当時、ホタテの産地であるむつ湾や三陸海岸で、稚貝の斃死が発生したため、健康な稚貝を求めていた。こうして南茅部の天然のホタテが、むつ湾や三陸のホタテ漁家へ移出された。
昭和五一年秋、大量出荷の運びとなる。
夏、養殖コンブの水揚げ期に手はかかるが、晩秋には三センチメートルほどに成長して出荷された。稚貝一個二円であるが、一養殖漁家当たり五〇万円から一〇〇万円余の副収入があった。養殖漁家には大きな実収であった。総出荷量四四、七九八、七四〇個、金額八一、七九二千円に達した。