大槌通吉里/\浦御手漁鮪立網世話役被
仰付置候処宮古通追切乃崎ト申処鮪網立込候ハゝ漁事可有之
□□見□文政十年申上御手漁場
被仰付追々相應之漁事有之御□□上納
一□之御用弁ニ□候上所□□相成候付為御賞右之通永御加増
被成下被□□候金方壹両砂金
□□
御加都合壹両砂壹匁弐人扶持 被成下候證文遣候也
表江戸
天保二辛卯歳二月晦日 安宅 中
毛馬内大隅 ㊞
楢山 帯刀 印
楢山 河内 印
表江戸藤枝 宮内
毛馬内典膳 印
大槌御住人
田代角左衛門殿へ
田代家文書 岩手県山田町 田代康人所蔵
この田代家文書によれば、通常いわれている田代網文政一二年説より早く、文政一〇年にすでに宮古通追切乃崎に南部藩御手漁場として鮪網を立込んでいる。