沿岸漁業の近代化

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 昭和に入ると国内、国際ともに大きな経済恐慌があり、多難な幕明けとなった。あまつさえ、この海岸の村々は昭和四年の駒ヶ岳爆発の災害をうけ、海産も陸産も大打撃をうけた。
 しかし、このために災害復旧事業という国費が投入された。道庁は昆布礁災害復旧事業遂行のために、専門学校出身の若手の技士を各村々に在駐させ、漁業組合の直接指導にあたらせた。(駒ヶ岳災害並びに復旧事業の項に詳述)
 また、農山漁村経済の振興のために、国は重点的施策を実施した。沿岸漁業の近代化のためには、漁船の機械化を図るため国費の補助を設けた。漁船の安全と基地化のために船入澗の築設を積極的に国がおこなった。
 ここに漁業組合は、各種の事業への取り組みのために脱皮する機会となった。
 国家補助による漁船の機械化(補助船)は、イカ釣りや鱈釣りなどに大いに利用された。鮪の突(つ)きん棒など漁法の改善への取り組みも試みられた。この補助船は、今まで函館の海産商による漁業資金・生活資金につながれていた漁家を独立させる踏み台になったことは事実である。
 当時、沿岸はイワシの大群の回遊に恵まれ、多くの入稼ぎがあって大いに賑わった。漁村の意識は徐々にそして確実に変わっていった。
 漁獲物の検査は各漁業組合の自主検査にまかされていたが、昭和八年、道庁はこれを道費として実施することになり、検査基準を定め、各村々に水産物検査員を常駐させた。こうして各郡にあった水産会の統合は、一連の沿岸漁業の振興に大いなはずみを与えた。