ジャガタラ薯(いも)

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郷土の作付は古くから大豆、小豆、蕎麥、野菜などを主としていた。
 明治一六年、篠田順が臼尻村戸長に就任して、これまで当地方にほとんどなかった馬鈴薯(ジャガタライモ)をとりよせた。明治一七年には郡長桜庭爲四郎に懇請して、馬鈴薯五俵を借りうけて希望者に分与した。
 各自は収穫のうえ借りた量を返済することを条件として奨励したので、二、三年にして篠田のジャガタラ薯を作付する家が倍増した。手篭一つの芋は秋には五、六倍となる。一篭返し一篭を自家の種薯として、余りは日常の食糧の飯米の三分の一をまかなうに足りたという。以後、五升芋はすたれ、ジャガタラ薯が普及した。
                                     篠田・臼尻部落沿革誌 参考