竹中牧場

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昭和七年、竹中重蔵は尾札部川上流に牧場を設営し、牛二〇頭を飼育した。これを竹中牧場と呼び、竹中の屋号(家印)から中の牧場ともいわれた。
 仔牛をとり、搾乳して、牛乳として村内に販売した。しかし、牛乳はまだ村人の食生活、嗜好になじまなかったので、採算にいたらなかった。
 のち、牛が熊に襲われるなどの被害もあり、数年にして廃業した。
 尾札部川の中流の旧道に、現存している馬頭観音の碑は、竹中重蔵が昭和一〇年に建立したものである。
 竹中重蔵は牛のほか養狐、養狸など畜産毛皮業も目途とした。
 時に、日本は日中戦争に入っていった。
 昭和一一年六月三〇日、尾札部沢に馬頭観音の碑を建立して、広専寺住職近藤滋法師により開眼式を執行した。

馬頭観音建立 昭和11年6月開眼式

 同年七月、サイロ一基建設、同一二年に角石沢牛二六頭放牧、馬七頭、緬羊一〇頭を飼育した。翌一三年二月、角石沢に牛舎一棟平家四〇坪を建設し、養狸一〇頭、兎六〇羽を飼育。一二月観音橋を架橋して畜産に意欲的に取り組んだが、被害額も多くでたので一五年三月、すべての畜産業を廃業した。