養狐

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大正期、大沼湖畔で日魯漁業株式会社が、養狐園を設けて銀狐の飼育をはじめ、これはのち、大沼養狐株式会社の経営となり、赤井川にも分場を設けて青狐・十字狐・銀黒狐の飼育をした。
 郷土の事業家として乗合自動車の経営をした竹中重蔵も、又、尾札部の渋田武雄、杉林金弥がこの新しい時代の養狐業にいち早く乗り出している。
 太平洋戦争に入ると養狐業の経営は終わった。