万畳敷開拓は、臼尻・大舟・磯谷の漁家にとって、山間のできごととして年月とともに記憶からうすれていた。古老たちの話の中に、山の話、炭焼の話、熊泊鉱山の話のとき、万畳敷に開拓農家がいたことに僅かにふれる程度だった。
この調査には二つの動機があった。昭和四〇年ごろ、熊泊小学校沿革誌に万畳敷特別教授場の記録をみたときである。もう一つは、昭和五〇年に豊崎の吉田覚太郎翁が、明治の教科書の入った箱を二つ寄贈してくれたとき、その古い書籍の中にあった「上川辺別駅開墾壯行賦」二篇をみたときから、どうしてもこの秘められた町の歴史を調べたかった。町史取材調査のはじめに、昭和五四年、旭川市神楽を訪ね、駒ヶ岳友の会の存在を知った。万畳敷で育ち青春をむかえた渡辺幸太翁や、田代久三翁、そして渡辺光氏の特別の協力、資料提供をえた。