明治以来大正、昭和と、村の家の燃料は、薪(まき)と木炭(すみ)であった。
薪木の原木は、山林所有者でも持山から切り出すことは少なく、村中で薪炭組合を組織して、村長を経由して官林(道有林)の払下げをうけた。
抽せんで場所割りをし、冬山に入って自力で伐り、薪出しはユイコ(仲間協同)して橇を使って山から里へおろした。
駄ン付け馬に頼むものもあり、共同で請負って川流しをすることもあった。
道有林だけでなく、村有林・学林などからも薪炭用原木を払下げている。
明治三七年六月二日、尾札部村内藤二太郎が、村有林から薪用の原木を買入れた一札には、「本巻五敷、一敷五尺×一丈(一〇尺)磨光小学校用薪買入入札価格で支払う」とある。