大正から昭和にかけて、臼尻と同様に川汲の山道入口から川汲温泉までは川汲銀座と呼ばれて、ことのほか賑わった。
山道の開通で函館から乗合自動車が往来し、沿岸は鰮・イカ漁の豊漁がつづいた時代である。
日用雑貨吉野堂のほか、呉服屋・菓子屋・餅屋・だんご屋などが軒を並べ、料理屋・そば屋・温泉旅館が開業する。床屋・八百屋・果物屋・劇場・自転車屋・こうじ屋・パチンコ屋・医院や警察もあった。
川汲銀座の商況は賑わいを呈した。とくに料理屋は萬富久屋・藤の屋・千鳥屋・末広屋・福の屋・善の食堂(そば)・旅館が二軒、温泉旅館芽の湯(金曽)川汲温泉山中旅館があり、川汲銀座の名を冠称された。
(資料協力 須崎栄麿・関口直蔵)