川汲温泉の溪流のすぐ上流に、川底から湧出する温泉があり、山仕事の人たちが帰りに川石で囲んで入浴していたのを、昭和の初め、北条某が温泉の権利の許可をうけた。
のち、みよし先生が木管で市街地まで流し送る計画をたてて、工事中に資金難となった。〓杉林がこの計画を引き受けた。〓杉林季朔(明治二六生)は経営していた旅館を川汲山道入口に移転増改築して、温泉旅館芽の湯を開業した。昭和二年である。昭和五年、温泉旅館芽の湯の経営を譲り受けた函館海産商金曽幾太郎は、道路の向い側に移転改造して、温泉を川汲市街地まで木管で引き、川汲温泉芽の湯を開業した。
川汲川上流の湯元から市街地まで一五町(九〇〇間・一、六三六メートル)の距離に木管で送るので、温度が下がるのを石炭で適温にして村人の利用をはかり、温泉旅館を経営した。
昭和一四年、金曽家の養女千代に譲渡された。
戦争中、廃業状態であった芽の湯は、佐藤源三郎・千代夫婦の自力で、昭和二三年春から湯元に浴舎の建築が実現して入浴客をうけいれ、昭和二四年から二年がかりで旅館の建築に着手、専門的なところのほかはすべて家族の手仕事で工事がすすめられた。
こうして昭和二八年、観光第一旅館明林荘が創業された。旅館の周囲、とくに川汲川の両岸の濶葉樹を自然のままに配置して、桜を植えオンコを植え、春秋それぞれに花と紅葉を歓賞させる名所でもある。