九月二三日午後七時頃から降りだした雨が、九月二四日には総降雨量三八八mm記録的豪雨となって、台地状の裏山の地表水が農道路面に集中した。これが最大幅三〇cm、最大深さ四〇cmの溝を作り、崩壊地となった斜面の上部に浸透流下したことによって、土層は浸透水によって飽和状態となり、ついに崩壊したものと思われる。
この崩壊地は、図-七に示すように三ブロックに分かれ、まず中央のブロックが、二四日一四時二〇分に崩落してバックネットを倒壊し、一分おいて、向って左側のブロックが崩壊し、校長公宅を全壊、負傷者二名を出した。さらに一四時五八分に、右側のブロックが崩壊し、崩壊土砂は校舎内に流入した。崩壊土量は長さ二五m×幅五〇m×深さ一・五~二・〇m、約二・五×一〇m3と推定された。
同調査と防災研究には、南茅部と戸井の山崩れの形態は、段丘礫層が二メートルの深さと幅一五メートル×長さ四メートル規模が、地下水湧水の移動誘因で馬蹄形に崩落したとしている。
図-7 南茅部町磯谷小学校裏の崩壊し
①→②→③の順で崩落
(表)九月二四日大雨災害治山復旧工事計画