臼尻簡易水道

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 郷土の海岸線に沿って建ち並ぶ住宅は、すぐ背面に海岸段丘がつづき、嶮しい山岳部となっている。家庭の飲料水は裏山からの小沢の流れを利用したり、井戸を掘ったりして、日夜その確保に意を注いできた。
 昭和一〇年、臼尻船入澗(漁港)の築設に伴い、船舶への給水や水産加工場の工場用水などの給水が必要となり、臼尻村字臼尻田中の沢を水源として、雑用水道を設置したのが上水道の始めである。
 戦時下となり、水源池の付近も耕作されるようになり、非衛生的になったうえ、元来、水量も不足だったので設備は荒廃のまま放置された。
 戦後、昭和二六年、臼尻漁港の拡張整備が始まり、臼尻漁協の製氷、冷蔵庫が整備されるため給水の必要性がたかまった。また臼尻市街地の住宅の増加とともに、日常の飲料水が不足になり、上水道布設の必要性は一層強く要望された。昭和二七年一〇月、入久川上流を水源とし東海(臼尻)豊崎(垣の島川~紅葉川間)地域を給水区域とする上水道の布設を申請、昭和二八年一〇月一日許可を受け、同年一一月五日工事を着工した。
 着工して間もなく再調査の結果、昭和二九年一二月、設計変更の承認を得て、水源池を垣の島上流一、二〇〇メートルに築設した。給水地域は安浦、東海(臼尻)、豊崎である。
 工事は四か年で完成、総工費一五、八三〇千円、起債一四、〇〇〇千円、一般財源一、八三〇千円を要して(昭和三〇年一月二〇日認可・一日最大給水量六三〇立方メートル)完成した。
 のち、昭和四五年三月三一日(環境第四二九号)認可を得て水源施設の増改工事(事業費五三、〇〇〇千円)をおこない、計画給水人口四、二〇〇人、一日最大給水量一、二四八立方メートルにより、臼尻、豊崎、安浦と川汲の一部(川汲川まで)を担当給水としている。

臼尻簡易水道敷設工事 昭和28年


臼尻村上水道新設計画図