昭和三八年、見日第一、第二あわせて一〇〇戸の人たちが日常不自由していた飲料水の確保のために水道組合を結成し、一戸九千余円の負担金を拠出して年次計画で自主財源をつくり、自主運営をすることになった。
水源池を見日の東端、島歌の瀑布となる溪流の段丘の上に築設した。しかし、渇水期や使用水量の多い季節には水圧の弱いこともあって苦情が相次いだ。そこで、補助タンクとして見日川の上流に第二水源池を築設した。
この施設は、昭和五〇年、尾札部上水道の完成とともに見日水道組合の施設を買収して、尾札部上水道に吸収連結された。