書付によれば、て小川屋幸吉家の雇人由松が病死したので葬儀埋葬を願い出たが、何の事情があったのか詳かではないが、住職になかなか聞き届けられなかった。困りはてて、再び村役人と連名のうえ葬式の件を願い出て、後日のための念書を差し出したものの手控である。
旧の六月といえばはや夏である。さぞ困惑の末のことであっただろう。
それにしても、死者の葬儀執行について名主から庵室の僧侶に願い出るというのは、当時の寺院の権限を伝える一札でもある。
甚だ不審のことである。よほど寺側に迷惑のかかるおそれがあったのか、またはごく近い例で同様のことが出来していたのかもしれない。
書付一札之事
一 私雇居申候由松而申者長病養生も
不相叶當六月病死仕候付御葬之事
奉願上候得共御聞傅済無之□□御願申上候
尓者右於由松ニ何方ゟ彼是之儀申参リ
候而茂御寺様江少シ茂御迷惑相掛不申
當村役人並私共引請仕候趣ニ御願奉申上候
所御聞済被成下早速葬式被成下難有
仕合ニ奉存候依テ為念村役人連印
仕書付奉差上候所如件
丙 六月七日 臼尻
引受人
幸吉
名主
多五右衛門
臼尻
龍宮庵様
龍宮庵様「書付一札之事」