新制中学の誕生

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昭和二二年春、六・三・三・四(小中高大)制による新しい学校教育制度が発足した。
 小学校をのぞき、新制中学・新制高校・新制大学とそれぞれ新制の名を冠称してしばらく呼ばれ、以前のものを旧制として区別した。
  五月一日  磨光・木直・古部中学校を設置して各小学校に併置した。「併置中学」と呼ばれた。
  八月二七日  尾札部中学校設置の件が村議会で議決され、当分の間、各小学校に現行のまま併置する。
  一〇月二九日  尾札部中学校用地買収の件が尾札部村議会に提案されて議決をみた。
 新校地敷地の候補地となった字尾札部二二八番地九、〇〇四坪の土地所有者飯田基ほか飯田基・湊ミサヲ・能戸カチ共有にかかわる道路敷地などについて、村長ほか議会代表委員の交渉がおこなわれ、双方の納得のうえ、土地所有者の絶大な理解と好意によって価格などの合意が成り用地の譲渡が決定された。
 また、このとき「今津政太郎は多大な特志寄附を申出る」と尾中の沿革誌に記されている。
 当初の尾札部中学校建築計画では
  敷地面積  一、一七六坪
  建築面積  八四八坪五合
         一階五二四坪五合 二階三二四坪
  構造    木造二階建 屋根切妻式 柾葺
        外壁南京下見板張り 上部小壁及び妻板を一部漆喰塗り 額縁軒回り 広小天井ペイント塗り その他クレオソート塗り

尾札部中学校 昭和30年当時

 臼尻中学校
 臼尻村の新制中学校は、臼尻小・大船小学校に併置されていたが、昭和二五年、豊崎(現在地)に新校舎が建ち統合され臼尻中学校として発足した。

臼尻中学校 昭和30年当時