教材が少なくても、鉛筆と紙があれば作文教育はできた。どこの学校でも子ども達の作文を文集に編集することも多くなった。
平凡社で企画した綴方風土記に応募した町内の小学校の児童の作文、詩、はんがが掲載された。
「綴方風土記」(平凡社)北海道編の「道南・海べの村」に掲載された大船小学校の作品がある。
かあさんに叱られた
貧しいくらしの中ではなに一つむだにできない。くされたいももだいじなたべものだ。叱られた子どもだってそれはよくわかっている--内浦湾にのぞむ漁村の子どもたち。
くされいも
ぼくのうちではおととい、いもほりでした。いもはたくさんありました。かあさんのそばにいものくさったのがあったのでぼくが一つなげると「こら」とかあさんは大きなこえでおこりました。
「なに(なぜ)しにいもをなげるのだば(ね)」「したて(だって)わるいいもだものな(よ)」とぼくがいうと、かあさんが「わるいいもだっていたわしいんだよ(もったいないのだよ)」といったので、「したてこれかえねべせ(たべられないでしょう)」といったら、「はんぶんぐらいわるいたって米ないときなにくんだば(なにをたべるのだ)」といいました。ぼくは「はい、はい、すみません」といいことばであやまったら「ふざけるなこのわらし(こいつめ)。はははは」とわらいました。 (茅部郡・大船小4・野沢昭義)
いか
とうさんがいかを二はこつけて(つって)来たので、わたしはとしなりをかでながら(お守りしながら)、かあさんに「いかやいで(て)くてもいいが(たべてもいいの)」ときくと、
「くその(なんの)、いかなんか一ぺ(一ぴき)だってぜんこだで(お金なんだぞ)。とうさんおきさいて(沖へいって)、まい日くろうしてつけて来るのによ。いかでもくうんだら、としなりばかでねがよ(をお守りしなさい)」とおこりました。 (茅部郡・大船小4・成田洋子)
くま
わたしが、としなりをおぼって(おもりして)あそんでだけ(いたら)、「かねきん」さんのとうさんが大きな黒いものをしょって(せおって)来ました。そのうしろから人がいっぱい、ぞろぞろとついて来ました。
わたしはなんだろうと思ってはしっていくと、としのりがはしってきて「くまだ、くまだ」とわたしたちにいいました。
わたしは、くまをみたことがないので、みんなのところへいってみました。
「かねきん」のとうさんはあせをながしながら、くまのかわをしょってきました。
家でもとうさんも、かあさんもまどから首を出してくまをみていました。
わたしは家へ入ってとうさんやかあさんにくまの話をしました。
かあさんがわたしに「くまのい(胆のう)は くすりになるんだ。くま一ぴきとったらたいしたもんだ、あのくまのかわだら(なら)、六千円もすべね(するでしょうね)」といいました。
わたしはびっくりして「かあさん、くまのかわ六千円もすべか(するだろうか)」というと、とうさんが、「六千円すべね(するだろう)、くまのにぐ(にく)くてな(たべたいな)、大しためもんだ(大へんうまいものだ)」といいました。 (茅部郡・大船小4・成田洋子)
かぼちゃ
ぼくがきのう学校からかえったらかぼちゃが四つつるしかご(かご)からおちていました。
よくみたら一つのかぼちゃにあながあいていました。ぼくがわってみたら中にねずみが入っていました。ぼくがかあさんに「こったら(こんな)、ねずみはいったかぼちゃ、だくば(だれがたべるものか)」といったら、かあさんは「なにな(なにをいうの)、かぼちゃだって米のねどぎかねばねんだで(お米のない時食べなければならないんだよ)。このぜいたくこぎ」とぼくをおこりました。
(茅部郡・大船小4・高谷信明)
漁村の冬
雪
雪がふってきた
なやのいかの上にもふってきた
船のラットビヤの上にも
つもった
「もっと ふれ ふれ」
わたしがいうと、
「ばかやろう
まだ昨年の半分もつけないのに(いかがつれないのに)
今からふられてたまるか」
ととうさんいった
もうすぐ十二月だ。
(茅部郡・大船小4・高田桂子)
いか
寒くなってしまった
十一月だもなあ
おきさ(へ)いく
とっちゃも
あんちゃも
手 しゃっこいべや(つめたいだろう)
がまんしていかつける あんちゃ
えりゃなあ(えらいなあ)。
(茅部郡・大船小4・金沢勝子)
同じく「春がきたけれど---内浦の海べ」には、「にしんばへゆくおとうさん」(大船小4・佐藤由美子)「父のでかせぎ」(大船小4・赤坂静子)「こまったこと」(大船小4・佐藤愛子)の三作も掲載された。
僕たちの村 茅部郡・大船小4・加藤忠勝(平凡社「子ども風土記」)