流星吟社

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昭和のはじめ、山中熊一らにより尾札部に俳句の集まりがあった。昭和三年、小樽から磨光小学校に赴任した小林露竹(吉郎兵衛)は書をよくし、漢籍、日本史に通じ、尾札部村に文化活動を興(おこ)した。
 昭和三年から同四年にかけて一か年間の吟社の句を集めた露竹編「流星〓影」がある。
 会員の数三三名、句の数一、九九一句、短歌一八首で季題一六六題が掲載されている。
 郷土の文化活動のなかでも特筆されるものである。
 
   初日影そよぐ神樹や明烏    斧童
   早蕨やそヾろ歩きの一握    白葉
   もの古りし龍王堂や花の朝   露竹
   炭焼の夫婦睦しき夕餉かな   蕗薹
 
 露竹は昭和一三年、木直小学校長に就任し、木直の青年たちに俳句をひろめた。
 昭和一四年、磨光小学校に赴任した大立目校長は、昭和一五年、自から校歌を作詞し、五風と号して流星吟社を一層盛んにした。
 
   奉祝句会詠草    昭和九年
   皇子生れて瑞雲満ちぬ御代の春   照楓(葛西吉雄)
   相逢って車上乍らの御慶哉     杜月(山中勉)
 
 戦後、流星吟社は尾札部の医師葛岡紫烟を中心に、遠山鬼洞(茂)、三浦六花(春雄)、竹本雅邦、玉田禾風(時男)、志賀一叢(健一)らが集い、例会をもち活発な創作活動をつづけた。
 昭和四二、三年ごろ、鬼洞の力で熊谷正一を主宰として流星吟社は創作活動をはじめ、井上此君子(隆信)、飯田大謀(義雄)らの参加により、町内広く参加をよびかけ、晩年の二本柳北山人(北蔵)も参加した。