No |
年月日表記 |
西暦 |
できごと |
1
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旧石器時代 後期 12,000年前
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臼尻小学校遺跡グレーヴァー(彫刻刀型石器)
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2
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繩文時代 早期 8,000年前
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川汲B遺跡
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3
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繩文時代 早期 8,000年前
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電々公社合宿舎遺跡
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4
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繩文時代 前期 6,000年前
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八木遺跡
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5
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繩文時代 前期 5,000年前
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ハマナス野遺跡
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6
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繩文時代 中期 4,000年前
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精進川遺跡
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7
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繩文時代 中期 4,000年前
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臼尻B遺跡
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8
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繩文時代 中期 3,800年前
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木直B遺跡
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9
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繩文時代 中期 3,800年前
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豊崎202遺跡
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10
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繩文時代 後期 3,500年前
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臼尻小学校遺跡
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11
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繩文時代 後期 3,500年前
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著保内野遺跡 中空土偶(重要文化財指定)
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12
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繩文時代 晩期 2,300年前
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大船遺跡
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13
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続繩文時代 2,000年前
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美呂泊貝塚
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14
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続繩文時代 2,000年前
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見日二遺跡
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15
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擦文時代 1,000年前
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<鉄器の使用〉未確認
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16
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中世アイヌ文化
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未確認
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17
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近世アイヌ・和人文化
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臼尻B遺跡アイヌ墳墓
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18
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近世アイヌ・和人文化
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岩戸アイヌ墳墓
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19
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近世アイヌ・和人文化
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尾札部アイヌ墳墓
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20
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建武年間
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1335
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「庭訓往来」に宇賀昆布の名記される。
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21
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享徳3年8月28日
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1454/8/28
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下国政季、相原政胤・河野政道・武田信広等を従え大畑を経て蝦夷島に渡海。
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22
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永正初め
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1504
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若狭の商船が毎年3回箱館に来航。
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23
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文禄2年1月2日
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1593/1/2
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蛎崎慶広、肥前名護屋の陣営で秀吉に拝謁、志摩守に任じられる。
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24
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文禄2年1月6日
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1593/1/6
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慶広、秀吉より蝦夷島支配を認める朱印状(1月5日付)を受ける。
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25
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慶長4年11月7日
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1599/11/7
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慶広、大坂城西の丸で家康に拝謁。この時、氏を松前に改める。
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26
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慶長11年
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1606
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秋 新城落成、この地を福山と改める。徳山館を廃す。
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27
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慶長16年10月
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1611/10
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東蝦夷地の海岸に大津波。
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28
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元和元年
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1615
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四司馬宇兵衛、本別に移住、鹿部の和人来住の始め。(小林・鹿部村年表)
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29
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寛永17年6月13日
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1640/6/13
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東蝦夷地の内浦岳(駒ヶ岳)噴火、津波により昆布採り船100余隻遭難、和人・アイヌ等の死者・行方不明700人余。
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30
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明暦元年
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1655
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この年 能登の人、初代飯田屋与五左衛門が、津軽の蟹田村より渡海、砂原に来住、漁業を営む。
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31
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寛文9年
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1669
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「おさつへ2~3、アイツライ持分。かっくみ、ほろい滝迄昆布あり」(津軽一統志)
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32
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寛文11年7月
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1671/7
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幕府、河村瑞賢に東廻航路を開発させる。
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33
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寛文年間
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1673
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鹿部温泉鹿の湯発見される。
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34
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延宝元年
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1673
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この年 越後国荒浜村の牧口庄三郎が手船で松前に渡海、漁網を販売した。
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35
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延宝2年6月
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1674/6
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松前藩主より亀田八幡宮に昆布商売祈禱御神楽を永久仰付けられる。この初穂料は尻沢部より野田追まで1軒につき昆布1駄を差出すものとした。
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36
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延宝5年
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1677
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初代飯田屋与五左衛門、砂原より尾札部に来住。尾札部村和人定住の始め。
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37
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延宝6年
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1678
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与五左衛門、生国能登国飯田村より西谷(西屋)太右衛門を招き尾札部漁場の支配を任せる。
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38
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延宝7年
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1679
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与五左衛門、陸奥国福岡の呑香稲荷の分霊を勧請して尾札部稲荷神社を創建。
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39
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元禄7年
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1694
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この年ころ 駒ヶ岳噴火(新北海道史・「松前蝦夷記」)。
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40
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元禄年間
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1704
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この頃 東蝦夷地六箇場所(場所請負)が成立。尾札部場所知行主新井田知貞(恵山岬から松屋崎までを所領)。
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41
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正徳年間
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1715
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この頃 小安から野田追まで六箇場所を箱館の商人角屋吉右衛門が請負っていた。
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42
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享保3年
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1718
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この年 下北郡佐井村(青森県)の人東出屋多五右衛門が臼尻に来住、漁業を営む。
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43
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享保12年
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1727
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この年 飯田屋与五左衛門が南部・津軽から漁家7、8戸を尾札部に移住させ漁業を営む。
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44
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寛保元年
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1741
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この年 亀田番所、箱館に移す。
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45
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寛延4年10月27日
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1751/10/27
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(改元)
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46
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寛延4年
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1751
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この年 二代目飯田屋与五左衛門、元椴法華漁場を開く。
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47
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宝暦2年
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1752
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この年 陸奥国酒井屋重兵衛、仙石屋喜八郎が川汲に来住して漁業を営む。
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48
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宝暦3年4月
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1753/4
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安芸国宮島の厳島神社祭神市杵島姫命の分霊を勧請して臼尻の弁天島に厳島大明神を祀り社殿創建。
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49
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宝暦3年
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1753
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この年 臼尻に福山(松前)から相木屋久右衛門、某宗右衛門等が来住して漁業を営む。
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50
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明和3年
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1766
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この年 石崎(上ノ国)佐藤屋彦太郎、福山(松前)松村屋団治が木直に来住。
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