解題・説明
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明治32年(1899)の浜松町の中心部の地図である。地図には全町総反別二百五拾九町五反歩、町数34町、戸数3,699戸、人口19,568人とある。これは、明治28年(1895)発行の「遠江国敷知郡浜松町全図」弐百五拾五町四反五畝拾九歩、戸数3,378戸、人口15,320人と比べると、いずれも増加している。東海道鉄道の開通から10年、浜松停車場への道も整備され、駅南には帝国製帽株式会社と電灯会社が進出している。地図は官公庁や学校、金融機関、工場、劇場、寺社、名所旧跡、町名のほか小路の名前を記している。前述の明治28年全図と比べると、駅北の山葉楽器製造所が日本楽器製造会社に社名を変更している。浜松町の範囲は狭く、北端には浜松中学校、南西には堀留運河(井ノ田川)と船溜まりの堀留と遊廓地(明治30年度に浜松町へ編入)、東端には馬込橋を記している。裏面には、五社神社、諏訪神社、八幡宮の雲立楠、鴨江寺、龍禅寺、半僧坊の鐘楼、浜松中学校の写真がある。編集者兼発行人は谷嶋(島)屋書店の齋藤源三郎(二代目)、印刷は開明堂の鞍智逸平である。
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