解題・説明
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浜松県の設置は明治4年(1871)11月15日、高町の県庁で事務の取り扱いが始まったのは同年の12月22日であった。以後、大区・小区制度の施行、地租改正、学校の設置など多くの仕事に取り組んだ。この表は県の設置から約1年3かヵ月後の浜松県の実態を記している。管内は12郡で、9宿、1142ヵ村。県庁は浜松宿の高町にあった。一覧表には、浜松県内の戸数や人口、郵便取扱所、神社や寺院、農・工・鉱産物、人力車や商船の数の記載がある。浜松県の役人の地位と氏名には多くの紙面を割いている。県令は林厚徳、権参事は石黒務、権典事は大江孝文である。下段に捕亡吏として三輪永保の名前がある。三輪は江戸から来た旧幕臣で、後に浜松張子の創始者となった。この浜松県一覧表は毎月更新されていたようで、「浜松市史」新編史料編一の別冊「浜松県一覧表」(明治6年2月)と比べると記述内容や数字が若干異なる。
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