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目録ID mp000380-2022
タイトル 静岡県遠江国濱名橋之真景
タイトル(カナ) シズオカケントオトウミノクニハマナバシノシンケイ
タイトル(ローマ字)
タイトル関連
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
作成者
作成者(カナ)
作成者(ローマ字)
出版・製作者 日本精行舎
出版・製作者(カナ)
出版・製作者(ローマ字)
製作年
製作年終
数量
形状
大きさ
大きさ(縦) 21.9cm
大きさ(横) 32.1cm
媒体
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題 浜名橋
主題(カナ) ハマナバシ
主題(ローマ字)
関連する地域・場所 舞阪町弁天島
関連する地域・場所(カナ) マイサカチョウベンテンジマ
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体 浜名社、金原明善、熊谷三郎馬
関連する人物・団体(カナ) はまなしゃ、きんぱらめいぜん、くまがいさぶろうま
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年 明治14年(1881)12月25日
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 江戸時代の舞坂―新居間は渡船によって結ばれていた。明治になってもこれが続き、ここを人々が通行することで、舞坂・新居・白須賀の宿も成り立っていた。ところが明治5年(1872)に浜松―新所間に堀留運河も利用しての通船が開通した。これにより舞坂・新居・白須賀の各宿を通る旅客は激減、関係者は困窮を来すことになった。この時、治河協力社の金原明善は橋の建設を願い出たが、県はこれを認めなかった。これに代わって熊谷三郎馬が地元の人たちの出資も得て浜名社を設立、明治13年(1880)に認可を受けた。こうして浜名橋の建設が始まった。弁天島を中心に2つの堤と4つの橋を建設し、明治14年(1881)12月25日に開通した。これは有料の橋ではあったが、通行する人は多く、経営も順調であった。ただ、木橋であったため、暴風雨などで破損することがあり、また、明治21年(1888)に東海道鉄道が開通したことにより旅客はまたも激減した。明治32年(1899)の暴風雨で浜名橋が落橋すると橋は再建されず、江戸時代と同じ渡船に戻った。浜名湖の渡船が終わるのは昭和7年(1932)になって国道の浜名橋が完成した時であった。この図には浜名橋と並んで東海道鉄道の線路や鉄橋が描かれている。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 浜松市立中央図書館
原資料の所在地
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 静止画
資料種別
資料分類(大分類) 浜松の風景
資料分類(中分類) 日本博覧図・静岡県・初篇
資料分類(小分類)
文化財情報
IIIFマニフェストURL https://adeac.jp/viewitem/hamamatsu-city/viewer/iiif/202223-1/manifest.json
参照データ
関連ページURL
関連画像URL
自治体史掲載
出版物・関連資料 「舞阪町史」中巻、「新居町史」第二巻通史編下
翻訳元の言語
権利関係・利用条件 CC BY(表示)
原資料の利用条件 未定
権利関係・利用条件に関する注記 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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緯度・経度・高度に関する注記
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既刊目録名
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