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目録ID mp000400-2022
タイトル 静岡県遠江国敷知郡宇布見橋之真景
タイトル(カナ) シズオカケントオトウミノクニフチグンウブミバシノシンケイ
タイトル(ローマ字)
タイトル関連
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
作成者
作成者(カナ)
作成者(ローマ字)
出版・製作者 日本精行舎
出版・製作者(カナ)
出版・製作者(ローマ字)
製作年
製作年終
数量
形状
大きさ
大きさ(縦) 21.9cm
大きさ(横) 32.1cm
媒体
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所 雄踏地区 雄踏町宇布見
関連する地域・場所(カナ) ユウトウチク ユウトウチョウウブミ
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体 中村音作、那須田又七
関連する人物・団体(カナ) なかむらおとさく、なすだまたしち
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 宇布見村は江戸時代からの大村で中心部にはいなかでは珍しい市街地もあった。この宇布見村と東海道筋との間には浜名湖の入江(新川)があり、東海道筋、特に舞坂宿に行くには船で往来するか、遠く浜松に出て、逆戻りするしかなかった。明治の世の中になり、交通が開けてくるとここに橋を掛けようと願い出たのが宇布見村の中村音作であった。彼は明治15年(1882)1月に長さ600間(約1080m)、幅1間(約1.8m)の橋をつくるべく、静岡県令に申し出た。完成は同年8月で、建設費の償還や維持管理費などを得るため有料橋とした。橋の名称は橋を架けた中村音作の名前から音作橋とした。ただ、この橋は規模が小さく台風や水害などによりたびたび破損し、経営がなりたたなくなった。中村は明治19年(1886)に橋を舞坂宿の川崎屋に売却、以後は宇布見橋と称した。その後、舞阪町の那須田又七の手に渡り、明治24年(1891)年ごろに新しい橋が出来たようだ。これがこの銅版画にある宇布見橋である。橋の手前側の盛り上がっている部分は堀留運河の蒸気船を通すためである。この橋が注目を集めたのは明治21年(1888)9月に東海道鉄道の馬郡駅が開業した時である。橋のすぐ向こうに馬郡駅が設置(馬郡駅は同年12月1日に舞坂駅と改称)され、宇布見だけでなく、伊佐見や和地、神久呂方面からもこの橋を渡って舞坂駅にくる人や貨物で賑わうことになる。ただ、木造の橋のため明治30年(1897)9月の暴風雨のために200間が落橋するなど経営は安定せず、昭和2年(1927)1月1日に雄踏、篠原線道路組合の経営となった。同4年(1929)には県道に編入された。現在は宇布見橋のすぐ東にとびうお大橋も出来ている。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 浜松市立中央図書館
原資料の所在地
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 静止画
資料種別
資料分類(大分類) 浜松の風景
資料分類(中分類) 日本博覧図・静岡県・初篇
資料分類(小分類)
文化財情報
manifest.jsonへのURL https://adeac.jp/viewitem/hamamatsu-city/viewer/iiif/202223-3/manifest.json
参照データ
関連ページURL
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自治体史掲載
出版物・関連資料 「雄踏町郷土資料部報」第3号・第77号、「東海展望」1983年10月号・11月号、「雄踏町誌」年表編
翻訳元の言語
権利関係・利用条件 CC BY(表示)
原資料の利用条件 未定
権利関係・利用条件に関する注記 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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緯度・経度・高度に関する注記
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既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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