目録ID
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mp000620-2022
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タイトル
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静岡県遠江国引佐郡気賀町 三遠農学社
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タイトル(カナ)
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シズオカケントオトウミノクニイナサキガチョウ サンエンノウガクシャ
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タイトル(ローマ字)
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タイトル関連
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タイトル関連(カナ)
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タイトル関連(ローマ字)
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欧文タイトル
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タイトルに関する注記
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作成者
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作成者(カナ)
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作成者(ローマ字)
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出版・製作者
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日本精行舎
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出版・製作者(カナ)
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出版・製作者(ローマ字)
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製作年
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製作年終
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数量
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形状
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大きさ
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大きさ(縦)
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21.9cm
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大きさ(横)
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32.1cm
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媒体
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形態に関する注記
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保存状況
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縮尺
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その他の注記
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言語
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日本語
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ISBN
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ISSN
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主題
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主題(カナ)
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主題(ローマ字)
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関連する地域・場所
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細江地区 細江町気賀
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関連する地域・場所(カナ)
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ホソエチク ホソエチョウキガ
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関連する地域・場所(ローマ字)
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関連する人物・団体
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野末九八郎、松島吉平、松島授三郎
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関連する人物・団体(カナ)
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のずえくはちろう、まつしまきちへい、まつしまじゅさぶろう
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関連する人物・団体(ローマ字)
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内容年
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内容年終
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内容
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内容(カナ)
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内容(ローマ字)
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解題・説明
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明治時代を迎えた引佐郡伊平村では博徒が横行していた。これをなんとかしようと野末九八郎らが報徳主義に基づく結社として誠報社を明治12年(1879)に立ち上げた。これが大きく発展し、明治15年(1882)に西遠農学社となった。ここでは農業を学び、家や国家を富ませようと様々な活動がなされた。毎月一回会合を開き報徳や殖産の方法を教えた。明治19年(1886)には社員は1300名に達し、社員が三河方面にも及んだため、同年に三遠農学社と改称、野末の死去により松島授三郎が社長となった。銅版画は細江神社の一角に完成した三遠農学社を描いており、建築落成は同年8月12日とある。これ以降、三遠農学社は農業技術の改良などに取り組んでいった。農学社の解散後は細江神社の社務所として長く使われたが、昭和48年(1973)ごろに取り壊された。銅版画の右下には松島十湖(吉平)の「三日見ぬ細江の縁の(辺りの)青田かな」の句が書かれている。
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解題・説明(英語)
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来歴
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来歴(英語)
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所蔵機関
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浜松市立中央図書館
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原資料の所在地
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資料番号
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管理記号
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カテゴリ区分
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静止画
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資料種別
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資料分類(大分類)
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浜松の風景
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資料分類(中分類)
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日本博覧図・静岡県・初篇
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資料分類(小分類)
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文化財情報
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manifest.jsonへのURL
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https://adeac.jp/viewitem/hamamatsu-city/viewer/iiif/202223-25/manifest.json
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参照データ
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関連ページURL
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関連画像URL
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自治体史掲載
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出版物・関連資料
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「ふるさとよもやま話」、「引佐町史」下巻、「十湖発句集」
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翻訳元の言語
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権利関係・利用条件
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CC BY(表示)
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原資料の利用条件
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未定
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権利関係・利用条件に関する注記
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 この 作品 は クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています
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緯度・経度・高度に関する注記
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DOI
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既刊目録名
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デジタル化の経緯に関する注記
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