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目録ID mp000690-2022
タイトル 静岡県遠江国引佐郡中川村中川 伊東要蔵
タイトル(カナ) シズオカケントオトウミノクニイナサグンナカガワムラナカガワ イトウヨウゾウ
タイトル(ローマ字)
タイトル関連
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
作成者
作成者(カナ)
作成者(ローマ字)
出版・製作者 日本精行舎
出版・製作者(カナ)
出版・製作者(ローマ字)
製作年
製作年終
数量
形状
大きさ
大きさ(縦) 21.9cm
大きさ(横) 45.7cm
媒体
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所 細江地区 細江町中川
関連する地域・場所(カナ) ホソエチク ホソエチョウナカガワ
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 伊東要蔵は元治元年(1864)に敷智郡都筑村の畳商を営む山田喜平の三男として生まれた。成績が優秀だったので浜松瞬養学校に入り、学校の教員として東京から来ていた渋江保の教えを受けた。渋江が明治12年(1879)に東京に帰ると要蔵も東京に出て慶応義塾に入った。ここでも成績は抜群で、教員兼舎監に抜擢された。在塾中に要蔵は「英国憲法論」の下巻を翻訳、同じく上巻は渋江保が翻訳して出版された。ここでは福沢諭吉にも学び、彼の推挙で大坂商業学校の教員となったが、2年足らずでここを辞め、中川村祝田の旧家・伊東家の伊東磯平治に頼まれて同家の養子となった。要蔵は明治20年(1887)に後藤角平らと共に養蚕伝習所を設立、さらに明治35年(1902)には組合立引佐農学校(今の浜松湖北高校の前身)を設立した。一方で政界にも進出、中川村の村会議員を皮切りに、引佐郡の郡会議員、そして県会議員となった。さらに明治42年(1906)には衆議院議員に当選し、軽便鉄道法などの成立に尽力した。大正元年(1912)には浜松軽便鉄道を創立、同3年(1914)には元城・金指間を、同じく12年(1923)には奥山までの軽便鉄道を開通させた。この会社は浜松鉄道と改称、彼は昭和6年(1931)まで社長を務めた。その他、中川小学校の校舎の建築、都田川の河川改修など地元のために大きな働きをした。要蔵は昭和9年(1934)に70歳で亡くなった。子孫には静岡大学農学部の教授や細江町長を務めた方もおられ、今も伊東家の長屋門やお蔵などは銅版画にある伊東家の状況とほぼ同じで、旧家としての趣を保っている。伊東要蔵の胸像は昭和57年(1982)に水野欣三郎によって制作され、引佐高等学校に設置されたが、高校の再編と校名の変更により校内には置かれなくなった。これを機に、地元のために尽力した要蔵の功績を広く地元の人たちに知ってもらおうと、胸像は令和2年(2020)に天竜浜名湖鉄道の金指駅北側の公園に移設され、5月9日に除幕式が行われた。都田川、祝田橋、人力車、荷馬車。石塔。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 浜松市立中央図書館
原資料の所在地
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 静止画
資料種別
資料分類(大分類) 浜松の風景
資料分類(中分類) 日本博覧図・静岡県・初篇
資料分類(小分類)
文化財情報
IIIFマニフェストURL https://adeac.jp/viewitem/hamamatsu-city/viewer/iiif/202223-31/manifest.json
参照データ
関連ページURL
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自治体史掲載
出版物・関連資料 「嶽陽名士伝」、「細江町史」通史編下巻、「静岡県歴史人物事典」
翻訳元の言語
権利関係・利用条件 CC BY(表示)
原資料の利用条件 未定
権利関係・利用条件に関する注記 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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緯度・経度・高度に関する注記
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既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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