目録ID
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mp000980-2022
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タイトル
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静岡県遠江国豊田郡山東村 大鏡山光明寺
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タイトル(カナ)
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シズオカケントオトウミノクニトヨダグンヤマヒガシムラ ダイキョウザンコウミョウジ
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タイトル(ローマ字)
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タイトル関連
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タイトル関連(カナ)
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タイトル関連(ローマ字)
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欧文タイトル
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タイトルに関する注記
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作成者
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作成者(カナ)
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作成者(ローマ字)
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出版・製作者
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日本精行舎
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出版・製作者(カナ)
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出版・製作者(ローマ字)
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製作年
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製作年終
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数量
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形状
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大きさ
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大きさ(縦)
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21.9cm
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大きさ(横)
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32.1cm
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媒体
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形態に関する注記
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保存状況
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縮尺
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その他の注記
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言語
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日本語
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ISBN
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ISSN
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主題
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主題(カナ)
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主題(ローマ字)
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関連する地域・場所
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関連する地域・場所(カナ)
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関連する地域・場所(ローマ字)
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関連する人物・団体
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関連する人物・団体(カナ)
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関連する人物・団体(ローマ字)
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内容年
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内容年終
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内容
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内容(カナ)
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内容(ローマ字)
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解題・説明
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北遠の三霊山の一つで巨大な寺院。光明山は秋葉山、春埜山とともに北遠の三霊山の一つで、539m余の山の頂き近くに大鏡山光明寺という曹洞宗の古寺があった。開創は奈良時代で行基が開いたといわれている。この寺と関わりがあるのが天狗の笠鋒坊で、行基によってこの寺が開創された時から光明山に住んで寺を守護してきたとされる。この寺は霊山だけあって皇室や多くの武将の帰依を受けており、後醍醐天皇や今川義元・氏真、徳川家康・秀忠・家光などの寄進によって多くの堂宇が立ち並び、江戸後期の版画にも登場するほどの巨刹となった。この銅版画は明治6年(1873)の火災で幾つかのお堂が焼失した後のものであるが、それでも本殿、摩利支尊天、観音堂、大書院、庫裏など多くの建物があり、その隆盛ぶりが見て取れる。掲げられた幟には光明大天狗笠鋒坊大権現とあり、天狗信仰の様子も伺える。秋葉山同じく毎年多くの参拝客を集めていた。この光明山には光明八景なるものがあり、以下のような8つが記されている。鏡山澄月鹿通路雲梯雨声松木罵千鳥見瀧楓今切夕照鳳来寺大国杉ただ、この光明八景を次のように記している冊子(「光明村誌」)もある。天竜春水秋葉朝講浜名暮帆福田午潮富士秋雲三水夏月松木島衛三方原朝露(ちどり)光明山の山頂付近にあったこの寺は昭和6年(1931)の大火で全山が焼失したため、昭和10年(1935)になって、現在地(天竜区山東の遠鉄ストア天竜店の西にある光明山古墳の北)に移転してきた。広大な境内には本堂のほか、三満殿、大黒殿、光明殿が立ち並び、はるか離れたところに奥の院摩利支天堂が立っている。なお、現在の光明寺の山号は光明山であるが、明治のころはこの銅版画のように大鏡山としているものや、明鏡山と記しているものもある。ちなみに、光明寺のすぐ南にある光明山古墳は全長83.4mの前方後円墳で、市内では最大の前方後円墳である。令和2年(2020)年に国の史跡に指定された。
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解題・説明(英語)
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来歴
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来歴(英語)
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所蔵機関
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浜松市立中央図書館
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原資料の所在地
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資料番号
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管理記号
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カテゴリ区分
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静止画
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資料種別
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資料分類(大分類)
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浜松の風景
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資料分類(中分類)
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日本博覧図・静岡県・初篇
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資料分類(小分類)
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文化財情報
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manifest.jsonへのURL
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https://adeac.jp/viewitem/hamamatsu-city/viewer/iiif/202223-60/manifest.json
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参照データ
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関連ページURL
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関連画像URL
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自治体史掲載
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出版物・関連資料
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翻訳元の言語
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権利関係・利用条件
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CC BY(表示)
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原資料の利用条件
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未定
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権利関係・利用条件に関する注記
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この 作品 は クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています
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緯度・経度・高度に関する注記
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DOI
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既刊目録名
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デジタル化の経緯に関する注記
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