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目録ID mp001010-2022
タイトル 静岡県下遠江国周智郡領家村県社秋葉神社全景
タイトル(カナ) シズオカケンカトオトウミノクニシュウチグンリョウケムラケンシャアキハジンジャゼンズ
タイトル(ローマ字)
タイトル関連
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
作成者
作成者(カナ)
作成者(ローマ字)
出版・製作者 日本精行舎
出版・製作者(カナ)
出版・製作者(ローマ字)
製作年
製作年終
数量
形状
大きさ
大きさ(縦) 21.9cm
大きさ(横) 32.1cm
媒体
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所 春野町領家
関連する地域・場所(カナ) ハルノチョウリョウケ
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 秋葉山は標高866m、その山頂近くに秋葉山本宮秋葉神社がある。ここからは遠州平野が一望のもとに眺められる。江戸時代までは神仏混淆の霊山とされており、神社と寺院はともに奈良時代に創建されたようだ。平安時代になって三尺坊が越後国から飛来し、この時から寺号は秋葉寺と改めた。戦国時代には武田と徳川の争いから焼失の憂き目を見るが、徳川家康の援助によって寺は再建、この時点で真言宗から曹洞宗に改宗された。江戸時代以降は庶民信仰の対象となり、多くの人たちが秋葉詣でにやってきた。特に火防(ひぶせ)の霊徳があるとされ、各地に秋葉講が結成され、数百の秋葉寺(秋葉社)が建てられたりした。ところが、明治維新で全国的に廃仏殿釈の運動が起き、特に秋葉山はこれが著しかった。これまで秋葉山のほとんどを占めていた秋葉寺は廃され、本尊の聖観世音や三尺坊大権現などは袋井の可睡齊に移され秋葉山は秋葉社のみとなった。寺の関係者は秋葉山への寺院復興を願い、山頂からやや下った杉平に秋葉寺が再建されたのは明治14年(1881)のことであった。この銅版画を見ると建物全てが秋葉神社となっているが、江戸時代の秋葉山図では右上の拝殿、幣殿、本殿の所だけが秋葉社で、そのほかは秋葉寺であったことが分かる。昭和18年(1943)3月13日、秋葉山は全山大火に見舞われ秋葉神社と秋葉寺はそのほとんどが焼失した。銅版画にある楼門(今の神門)は江戸時代の文化9年(1812)に建立され、秋葉山大火を免れた唯一の建物である。神門の屋根下周囲には諏訪三郎の作と伝わる精巧な彫刻が施されている。この神門は浜松市の指定有形文化財(建造物)となっている。火伏の神として多くの参詣者で賑わう。明治中期の秋葉信仰の様子。参籠所、湯殿、茶屋、機織井戸、諸職人詰所、製札所、参拝者が描かれている。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 浜松市立中央図書館
原資料の所在地
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 静止画
資料種別
資料分類(大分類) 浜松の風景
資料分類(中分類) 日本博覧図・静岡県・初篇
資料分類(小分類)
文化財情報
manifest.jsonへのURL https://adeac.jp/viewitem/hamamatsu-city/viewer/iiif/202223-63/manifest.json
参照データ
関連ページURL
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自治体史掲載
出版物・関連資料 「春野町史」通史編、資料編「遠州の古寺」「遠州歴史散歩」「日本の神社大全」
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権利関係・利用条件 CC BY(表示)
原資料の利用条件 未定
権利関係・利用条件に関する注記 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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緯度・経度・高度に関する注記
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既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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