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目録ID mp001310-2022
文書名 遠信鉄道敷設の請願
文書名(カナ) エンシンテツドウフセツノセイガン
文書名(ローマ字)
別名
別名(カナ)
別名(ローマ字)
文書名(欧文)
文書名に関する注記
差出・作成者
差出・作成者(カナ)
差出・作成者(ローマ字)
宛所
宛所(カナ)
宛所(ローマ字)
書写者
書写者(カナ)
書写者(ローマ字)
作成年 昭和7年12月
作成年終
数量 1枚
形状
寸法
寸法(縦) 25cm
寸法(横) 34cm
材質
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所 天竜地区 佐久間地区
関連する地域・場所(カナ) テンリュウチク サクマチク
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 遠州と信州の交流は古くは青崩峠を越えての陸路と天竜川の水運を利用してほそぼそと続いていた。明治になって水運ではなく鉄道によって行おうと遠信鉄道敷設の構想が浜松商業会議所で発議されたのは明治28年(1895)6月であった。発議者は当地方で鉄道に詳しかった中村忠七で、浜松を起点に飯田を経て、予定されていた中央線に達する路線であった。これにより静岡・長野両県の有力者によって遠信鉄道期成同盟会が組織され、機会あるごとに実現の促進を目指していた。そして、大正9年(1920)8月6日に浜松商業会議所は鉄道大臣あてに「遠信鉄道速成請願書」を提出した。これには信州だけではなく、辰野を経由して直江津まで連絡したいとする遠大な構想を有していた。
この頃には豊橋から三河川合までの線路が完成しており、信州への鉄道敷設は遠州より三河側の方が先行していた。しかし、浜松側の敷設運動も実を結び、大正11年に鉄道敷設法による予定線に、そして同15年には二俣-佐久間間が建設線に編入された。そして昭和12年(1937)に着工し、竣工は昭和16年とされた。ところが、昭和5年には世界恐慌が日本にも波及し、浜口内閣の緊縮財政により建設計画は繰り延べとなり、地元民は落胆、これを打開すべく昭和7年12月に斎藤内閣へ敷設計画の存置と起工の促進を請願した。これがこの請願書である。そして、満州事変以後は景気がよくなり、再び建設計画が軌道に乗った。しかし、昭和13年になって線路の敷設を巡って天竜川の東岸にするか西岸にするかで地元の町村間で内紛が起こり、政府はその措置に迷い一時中断状態となった。その後、この二俣-佐久間間の重要性が認められ、昭和19年に予算化されたが、戦争の苛烈化により中止となった。
戦後の昭和21年12月に浜松市、掛川町、二俣町と浜松商工会議所は連名で建設促進の請願書を提出、以後毎年のように遠信鉄道の建設に向けた運動が続いた。この運動は昭和26年12月4日に天竜東三河地域が総合開発法による特定地域に指定され、佐久間ダムの建設や林産、地下資源の開発など大規模な総合開発計画が実施されることになり、その実現が現実のものとなってきた。また、佐久間ダムの建設によって水没する飯田線の付け替え線路を巡っては、愛知県と静岡県とが対立していた。このような情勢のなか、昭和27年11月1日には浜松市と長野市などが共同で「仮称遠信鉄道敷設方要望に関する請願」関係各方面に提出した。請願の趣旨は遠信鉄道の敷設と付け替え路線は静岡県側とすることであった。理由としてはいくつかあるが、特に久根や峰之沢などの鉱山開発や林産資源、そして秋葉ダムや佐久間ダムへのセメント輸送であった。これまで浜松市や浜松商工会議所などが運動の主体となっていたが、やはりこれは静岡県が前面に出て行うことが大切であるとの認識から昭和28年12月9日に全県を一丸とする促進期成同盟会の誕生を見ることになった。会長は斎藤寿夫静岡県知事であった。これ以降は遠信鉄道という名称から佐久間線と改称し、この建設促進の陳情は毎年のように行われた。そして飯田線の付け替え路線は静岡県側の水窪・城西地区を通ることとなり、昭和28年12月に工事が開始、同30年11月1日に開通した。昭和31年度には国土総合開発法に基づく総合開発事業として佐久間の建設調査が実施され、昭和32年には鉄道建設審議会によって調査線に指定された。その後は技術的な調査や経過地の継続調査などが行われ、同37年3月ついに建設線に指定され、着工を待つばかりとなった。これまで国鉄線の建設は国鉄が主体となって行っていたが、同39年2月から日本鉄道建設公団が行うことになり、4月に工事線に編入された。そして待望の佐久間線着工杭打式が二俣町で行われたのは昭和39年12月16日であった。この杭打式の記事は『広報はままつ』にも載せられたが、この広報紙のトップ記事は東名高速道路の用地買収が始まるというもので、時代は鉄道から道路に移行していく時代になっていた。同41年度は予算が1億円付けられ、同42年4月に二俣-横山間13.4キロメートルの工事認可が行われ、6月2日に起工式、20日から工事が始まった。トンネルの掘削や橋梁の建設、路盤の造成が進んでいったが、予算はごく僅かで建設のスピードは遅々たるものであった。このため昭和44年には知事や関係市町村長が連名で早期完成の陳情書を出している。これには佐久間線の建設促進と二俣-浜松間の工事線への昇格も含まれていた。この頃になると道路の改良や東名高速道路の開通、そしてトラックの大型化が急ピッチで進み、貨物の輸送は鉄道の時代からトラックの時代にかわっていた。このため、建設予算は少なくなり、国鉄の大幅赤字などもあって、ついに昭和56年には建設が凍結、同63年には二俣-横山間の約7割の工事を終えただけで建設は中止された。明治以来93年にわたって続けられた遠信鉄道(佐久間線)建設の願いは完全に絶たれ、この鉄道はまぼろしの鉄道となった。平成5年(1993)には線路の跡地は天竜市に譲渡され、いろいろな施設に転用されていった。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 浜松市立中央図書館
原資料の所在地
資料番号
管理記号 土木地理関係綴 昭和二年以降
カテゴリ区分 文書・記録
資料種別 文書・記録
資料分類(大分類) 中ノ町村役場文書
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報
IIIFマニフェストURL https://adeac.jp/viewitem/hamamatsu-city/viewer/iiif/202254/manifest.json
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自治体史掲載
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