解題・説明
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木喰五行上人(行道、明満。1718~1810)は、甲斐国に生まれ、北海道から九州の鹿児島まで全国を行脚した遊行僧である。木喰が仏像を彫り始めたのは60歳を過ぎてからだったが、人々の求めに応じて各地で作仏を続け、80歳で千体の造像を志し、90歳でそれを達成してなお二千体を祈願するなど、その驚異的なパワーに圧倒させられる。上人が遠州を行脚したのは寛政11年(1799年)11月19日から約8か月間であるが、当「自刻自像」は奥山村小斎藤の大道庵において製作したものである。背銘にある4月28日は、「御宿帳」によれば方広寺を立って小斉藤の大道庵に入った日である。方広寺から小斉藤までは2キロほどしか離れていない。この像は浜松の民芸運動に深くかかわった中村精の旧蔵品で、その実兄の平松実により浜松市博物館へ寄贈された。全体に虫食いがあり、黒ずんでいて背銘は判読困難だが、中村精の著述と赤外線カメラによる調査により解読されている。 「聖朝安穏増寶壽」「天一自在法門」「自身體 ジキサク(直作)」「木喰五行菩薩(花押)」「天下安楽興正法」「寛政十二申年四月廿八日成就ス」「このまから ひのもれくるは奥の山 わがおもかげも なごりなりけり」 参考文献:「遠江の木喰仏」 発行/浜松市博物館
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