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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

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浜松市史 五 (浜名湖漁業)

は二百四十八万千枚、カキは三十二トンとなっている。,生産額ではノリが三千七百八十五万二千円、カキが四千二百四十万円であるが、一漁家当たりの粗生産額ではノリ,百五十一万四千円、カキ百九十二万七千円に過ぎない。  ,これはカキ、ノリ養殖の振興策の一環で、六百十ヘクタールの低利用水域を新規ノリ漁場化するとともに、カキについても,この事業はカキ、ノリの養殖にとって大きな効果を上げた。
浜松市史 一 (改新政治の前進)

改新政治の前進 しかも、この壬申の乱を平定して飛鳥浄御原(あすかきよみはら)宮に即位した天武天皇の治世,そして、官制の整備・八色姓(やくさのかばね)の制定・部曲(かきべ)の廃止など、統治の組織化が進められ、
浜松市史 五 (浜名湖の水質浄化)

このため静岡県水産試験場浜名湖分場は養殖カキ殻の再利用を模索していた浜名湖カキ殻処理対策協議会と共に、,カキ殻の散布で内浦湾の水質浄化を図ろうと、カキ殻の散布を平成二年九月から開始した。,一年後の調査では水質や底泥の汚濁状況を示す数値が二十%から六十%程度改善され、処分に困っていたカキ殻も
浜松市史 一 (受領)

ずりょう)という連中とて、その目的とするところは国司としての利得であって、彼らがいかに抜目なく財物をかき,【成功】彼らはこうしてかき集めた財力の一部分をもって官の造営事業などを請け負い、その功によって官職をえた
浜松市史 三 (浜名郡漁業)

なかでも舞阪港は近海漁業をはじめ、海苔(のり)・牡蠣(かき)・鼈(すっぽん)の養殖業も行なわれ、この地方漁業
浜松市史 ニ (松島茂岡)

このとき竜麿は松島家の杜若(かきつばた)を見て、つぎの一首を詠んでいる。  
浜松市史 一 (有力守護の介入)

たとえば、信濃(長野県)の守護小笠原氏は、嘉吉(かきつ)二年(一四四二)いらい二派にわかれて争い、加賀
浜松市史 四 ([貝類による中毒])

[貝類による中毒] 【カキ中毒 アサリ中毒】  昭和二十八年三月十五日号の『広報はままつ』には「貝類,浜名湖のカキ、アサリ中毒は、昭和十七年三月から十八年、二十四年、二十五年と四年間の三月から四月に四百五十三名
浜松市史 一 (第八期のころ)

第八期のころ ところが、第八期の貝層中には、ヤマトシジミのような淡水産の貝類のほかに、カキ・ハマグリ・アカニシ・シオフキ・キサゴ
浜松市史 一 (嘉吉の一揆)

嘉吉の一揆 嘉吉(かきつ)元年(一四四一)七月、赤松満祐を追討するため、山名持豊らの大軍が京都を出発
浜松市史 五 ([漁協の合併と構造改善])

湖内漁獲物の主なものは、ウナギ、カキ、ノリ、エビ、ボラ、カレイ、カニ、ハゼ、アサリ等で、従来小規模漁船,これにより沿岸漁業構造改善事業や漁港の整備が進められ、さらに養殖事業の振興にも乗り出し、昭和四十一年にはカキ
浜松市史 五 (西部衛生工場)

本格的な反対運動は、昭和五十二年十二月、カキ漁民が静岡地方裁判所浜松支部に対して、浜松市長を相手取り「,しかし、地裁浜松支部は、同五十三年八月に「シ尿処理場からの排水により、カキ養殖に被害が出るがい然性は高,一方、カキ養殖業者は東京高裁に抗告した。
浜松市史 三 (翼賛文化協会)

十二月五日には浜松文学報国会によって県居神社境内に「愛国百人一首」に選定された真淵の「大御田のみなわもひちもかきたれて
浜松市史 一 (浜名湖)

浅い湖のため昔は採藻が中心であったが、いまはノリやカキの養殖が行なわれ、養鰻池が湖辺をとりまいている。
浜松市史 一 (宮廷の粛清)

遠江国菊川駅にやどり「終夜眠ること能わず」宿の柱に「昔南陽県菊水 汲下流而延齢 今東海道菊川 宿西岸而失命」とかきつけた
浜松市史 四 ([湖面(浜名湖)漁業の実態])

無動力船のほとんどは一トン前後の小型船で採藻漁業、袋網漁業、ウナギ筒、ノリ・カキ養殖など湖面で行われる,昭和二十九年当時の漁獲高は、袋網漁業が全体の二十九%を占め、続いてカキ養殖十八・一%、ノリ養殖十一%、
浜松市史 五 ([草笛コンサート])

ナンテン、サカキ、マサキ、ミョウガなどの葉を使って、「赤とんぼ」「丘を越えて」「荒城の月」「知床旅情」
浜松市史 三 (アララギ派 あかしや)

【法月歌客】また法月歌客(のりづきかきゃく)(照三郎、当市紺屋町、歌集『砂丘』)は雪腸門下の歌人で昭和二年浜松新聞
浜松市史 一 (義教の政治)

嘉吉(かきつ)元年(一四四一)六月、赤松満祐は義教を自邸に招き暗殺した。
舞阪町史 中巻 (舞阪町史 中巻 目次)

舞阪町漁業協同組合」へ 「密漁船」問題 地曳網漁業と底曳網シラス漁業との紛争 舞阪漁港改修と浜名湖内魚道浚渫 カキ,アジア太平洋戦争下の舞阪 702 漁業の状態 諸物資不足とくに食糧不足と配給 徴用と動員 アサリ・カキ
浜松市史 一 (親王の転戦)

「しはしすみ侍し所に桜を栽て程なくたちいて侍しかは、その木にかきて結つけ侍し、   ゆく末に誰かうへしと
浜松市史 四 ([食堂の開業と松菱百貨店])

食糧難の時代に鍛冶町に新装開店した食堂の健民館ではエビフライなどのフライ物、ビフステークなどの焼き物、カキ
浜松市史 ニ (宿の根幹表筋町)

成子坂はむかしは「こたかき岡山の坂路」だったが、「慶長の比ほひこの岡うかちたいらげて、」上り下りの苦しみもなくなった
浜松市史 一 (大和朝廷の動揺)

として屯倉(みやけ)や部民(べみん)を設定したが、有力な諸氏族もこれにならって、田荘(たどころ)や部曲(かきべ
浜松市史 五 ([ごみ収集方法の切り替えと焼却場])

紙袋による収集の利点としては、ごみ箱からかき出す手間が省け、能率的で収集回数が増やせる、作業する人が清潔
浜松市史 一 (水産生物)

#160;   カニ 149,361     カキ
浜松市史 一 (市庭)

京都南禅寺領の遠江初倉荘の江得郷(旧榛原郡初倉村、いま島田市)には嘉吉(かきつ)三年(一四四三)に、浜松荘
浜松市史 一 (珍しい植物)

ミミカキグサ ムラサキミミカキグサ イシモチソウ エンシュウハグヤ シホガマギク サクシロギク サクギキョウ
浜松市史 一 (潮の流れ)

このことがプランクトンの繁殖に役だち、ひいてはカキの身入場として利用されている原因ともなる。
浜松市史 ニ ([浜松の和歌会])

をつゝりもてあそふ事も、今は三とせ四とせにそ成侍りぬ、しかはあれと人々の家々軒をならへす、道の程も芦垣の間ちかきにあらされは,のわさにおこたる市なく、その身のつとめわするゝ事あらすして、此日のましらひにかけさらましとそ契りぬ、友かきの
浜松市史 四 ([大規模ミカン園の開発])

静岡県柑橘試験場西遠果樹分場が完成し、西遠地方の柑橘についての試験や研究、技術指導に当たるとともに県内のカキ
浜松市史 四 ([うなぎ養殖])

その後、浜名湖食品会社はカキの缶詰やうなぎの蒲焼缶詰の輸出を始めるようになり、ドル獲得のために一役買うことになった
浜松市史 一 (交通路)

この七剋というのは、その実体が明らかでないが、何かきざみをつけたものだといわれ、その数にしたがって馬を
浜松市史 一 (信生法師と池田宿の侍従)

たつとてつかはし侍る、  おもひいつや姿かはらぬ月たにもおほろにかすむ春のよの空    彼宿をすくとて、橋にかきつく
浜松市史 ニ (元和の野論)

遣)ことく入こみたるへき事  一従前に有来候并に新林之儀下草に入こみたるへし 但し枝をおろし木葉をかき
浜松市史 三 (池谷七蔵)

七蔵は発明の天才で、その特許を得たもの前記の形染機のほか氷かき機・変形盆操機械・軽便米とぎ器・ボタン製造機械
浜松市史 一 (蒲御厨のばあい)

農業の副産物の藁(わら)・糠(ぬか)をはじめ漆(うるし)・麻(あさ)・柿(かき)などの山野の産物、農民
浜松市史 ニ (黙之助と植物仕法)

また紀州から蜜柑(みかん)・桃(もも)・柿(かき)を取り寄せ、大和の十津川からいわゆる五十人衆なる者を
浜松市史 五 (バブル)

歴史的な低金利の公定歩合とカネ余りを背景に、NTT株の上場は個人の株投資への関心をかき立て、財テクブーム
浜松市史 四 ([農繁休暇と手伝い])

[農繁休暇と手伝い] 【農繁休暇】  昭和三十年代中ごろまで稲作の仕事は、代かきなどを牛に頼る以外
浜松市史 五 ([農業バイオセンターとフルーツパークの開所])

熱帯果樹温室にはバナナ、パパイアなどの熱帯果物が、農業振興ゾーンの果樹園にはカキ、モモ、ブドウなど二百十品種
浜松市史 一 (湖水の含有物)

カキが秋にいちじるしい生長をみるのも湖水中のプランクトンが多いためである。  
浜松市史 一 (今川氏の遠江侵入)

今川氏の遠江侵入 嘉吉(かきつ)元年(一四四一)閏九月、義健は駿河守護今川範忠が遠江の地を侵略したのを
浜松市史 ニ (俳諧と浜松 宗因の来遊)

後撰犬筑波集』によると、このとき宗因は「遠江の国清長の家にて玖也まじはりての三吟に あふ友鶴のえんもなかき
浜松市史 一 (対外貿易)

【歳貢船】この歳貢船(さいこうせん)は嘉吉(かきつ)三年(一四四三)の約条で、宗氏の分だけが五十隻である
しいの森はぎの原:わが町文化誌 (浜松市立北部公民館『しいの森はぎの原:わが町文化誌』 目次)

ひばりまたぎの麦 148 広がる水田 【動力ポンプの導入 苗代 あぜぬり 畦道 水管理 ざる田 田植え 代かき,第五章 おくどのおき火―いえの内外― 175 おくどのおき火 【かまど たきつけ ごかき,食物考 【自家製 味噌づくり しょう油 黒砂糖 天ぷら油 卵 パン】  180 風呂たき 【ごかき
積志の流れ今むかし:わが町文化誌 (浜松市立積志公民館『積志の流れ今むかし:わが町文化誌』 目次)

現在の産業 123 第4章 伝説と昔話 125 有玉伝説 126 いぼ神様 130 下大瀬の代かき
浜松市史 ニ (浜松藩の目安箱)

つくろいきょせつ書のせ間敷事  一訴状之内ニ名并所付無之ハ取上ケ間敷事  右之通定之外取上なし、かき
浜松市史 一 (義忠の遠江経略)

義忠は遠州経略にのりだしたが、今川氏は人の和をかき、遂に戦死という凶事までひきおこした。
浜松市史 一 (橋本宿)

おもひのほかにすむよしきけば、よびいださんとて、をの/\れいのいとたけふきあはせてまちゐたるに、あめかきくらしふれば
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