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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

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浜松市史 五 (ごみ処理施設)

ごみ処理施設 【南部清掃工場】  浜松市の清掃施設には、ごみ処理施設とし尿処理施設の二つがある。,ごみ処理施設として昭和五十六年二月にこれまでの南部清掃工場が全面改築されて稼働を開始した。,この施設の特徴はガス化溶融システムが採用され、効率よくごみが処理されることであった。,【静ヶ谷最終処分場 粗大ごみ破砕施設】  これまで不燃物の埋め立て処理は和光・中田島・呉松の埋立地で,この広大な最終処分場も八年間で満杯になるとされ、改めてごみの減量が求められることとなった。 / ごみ処理施設
浜松市史 五 ([ゴミ10%減量運動])

[ゴミ10%減量運動] 【ゴミ10%減量運動】  前述のようにゴミ10%減量運動は昭和五十五年度から,始まったが、同五十六年四月から九月までの半年間のごみ排出量は前年の同期間に比べて三・五%も下回る結果となった / [ゴミ10%減量運動]
浜松市史 五 ([ごみ収集方法の切り替えと焼却場])

[ごみ収集方法の切り替えと焼却場] 【ごみ収集 紙袋による収集】  昭和三十八年(一九六三)の建設大臣勧告,に基づき国道一号線沿いのごみ箱を撤去したことを契機に、浜松市は翌年六月にごみ収集方法改善テストを開始し,紙袋による収集の利点としては、ごみ箱からかき出す手間が省け、能率的で収集回数が増やせる、作業する人が清潔,になる、ごみ箱が消えて道路が広く使え、町の美化と衛生に役立つ、ごみ箱による事故がなくなる等を挙げていた,【焼却場】  市域の拡大と人口の増加に伴って増え続けるごみの処理のため、市は広大な江之島町の焼却場の / [ごみ収集方法の切り替えと焼却場]
浜松市史 四 ([コンポストでのごみとし尿の処理])

[コンポストでのごみとし尿の処理] 【コンポスト】  市内で出るごみとし尿はこれまで酸性土壌の三方原開拓地,これにより収集したごみとし尿の処理に苦慮するようになった。,建設地は三方原台地の初生町、長さ二十三メートルの醗酵槽機械が中心で、一日にごみ五十トン、し尿三十五トン,この処理量は市内で一日に排出されるごみ・し尿約百四十トンの六十%に当たっていた。,ごみの分別収集の始まりであった。 / [コンポストでのごみとし尿の処理]
浜松市史 四 ([清掃法・清掃条例の施行とごみ・汚物処理の大変革])

[清掃法・清掃条例の施行とごみ・汚物処理の大変革] 【清掃法】  昭和二十九年七月一日、ごみ、燃えがら,  【し尿 ごみ 衛生社】  浜松では戦前から三方原や庄内地区などをはじめ、農村地帯から,農家の人々が市内の家庭や商店、会社などにし尿やごみの収集に来て、畑地の肥料としていた。,昭和二十九年七月十五日号には、屎(し)尿汲取業者十二社と塵芥処理業者二社の社名・住所・電話番号と、「ごみ,ごみ箱は工場用二、商社・家庭用一、家庭用二の合計五種類、コンクリート製で前差と上蓋は木製、最小の家庭用 / [清掃法・清掃条例の施行とごみ・汚物処理の大変革]
浜松市史 五 ([市民運動の推進])

[市民運動の推進] 【町を住みよくする会 ゴミ10%減量運動】  岩崎市政以来浜松ではいろいろな市民運動,このうち、街をきれいにする運動では市が昭和五十五年四月から呼び掛けたゴミ10%減量運動に全面的に協力することにした,このゴミ10%減量運動は新聞紙や雑誌などを廃品回収に回す、買い物には買い物かごを持参して過剰包装を遠慮,する、紙や木などは燃やす、台所のごみは水切りを徹底したり、堆肥化するなどを呼び掛けたものであった。,昭和五十七年度からはゴミ10%減量運動に空き缶のポイ捨てを防止する空き缶対策が加わった。
浜松市史 五 ([可美村の合併])

【ごみ処理 し尿処理 鉄化石 合併は不可欠】  昭和四十年代に入ると、財政力の豊かな可美村、舞阪町、,雄踏町の一村二町はごみとし尿処理で行き詰まりを見せ始めた。,で処理すべきとのことで、ごみの搬入を拒否された。,であったが、同年九月に可美村増楽に生ごみを圧縮処理する鉄化石方式の近代的な工場が完成した。,同五十三年にごみ処理の根本的な解決のため可美村増楽に建設しようとした近代的なごみ焼却場も近隣住民の反対
浜松市史 五 ([ダイオキシンの規制])

そして石油化学製品は燃えるごみと燃えないごみに分別して出すように求めた。,ダイオキシンの発生源の約八割が都市ごみの焼却場から出ていることから、国は平成九年十二月一日からダイオキシン
浜松市史 四 ([甚大な戦災被害])

  【米軍の不用爆弾のゴミ捨て場】  こうした爆撃の結果を、カーチス・ルメイは同じ自伝の,中で、「浜松は、爆弾を始末する〝ゴミため〟も同然であった。」,じられると、横浜や名古屋に比して小都市にもかかわらず、二十数度にも及んだ空襲の原因が米軍の不用爆弾のゴミ
浜松市史 ニ (国産品売捌)

レ布、切レ皮ニ至迄も物之上品下品ニ不抱、悉く御買入ニ相成他邦江売捌」き、何でも金にかえようという意気ごみであった
舞阪町史 下巻 (舞阪町史 下巻 目次)

水道事業の広域統合と水利権の問題 舞阪町(簡易)水道事業経営の推移    第九章 環境衛生事業 第一節 ゴミ・,し尿処理と火葬場 795 湖東環境衛生施設組合以前の処分法 湖東環境衛生施設組合の設立 ゴミ埋立地,・焼却場建設問題 ゴミの収集・処分方法と減量作戦 し尿処理法の模索 火葬場 第二節 下水道事業 830
浜松市史 五 ([社会体育])

【屋内温水プール】  ごみ焼却場の余熱を利用した江之島町の屋内温水プールが一般開放されたのは昭和四十五年九月二日
浜松市史 五 ([石油危機・物不足と「消費は美徳」時代からの決別])

【第二次石油危機 ガソリンスタンド ゴミ10%減量運動】  政府の緊急物価対策に呼応して、大手商社が,浜松市も昭和五十五年度から省資源・省エネルギー時代に対応するため市民総ぐるみの市民運動として、ゴミ10
浜松市史 五 ([市長と語る会])

午前中はあいさつ運動、ごみの減量、空き缶対策、駅周辺のまちづくりなどの分科会で討議し、午後はその発表が
浜松市史 三 (塵芥処理 塵芥焼却場問題)

この間に「浜松市民をまたゴミ攻め―会社に任してから運搬能率が半減」(昭和三年十月七日『浜松新聞』)という
浜松市史 四 ([コンポストの建設と堆肥])

この装置は市内から一日に出されるし尿とじん芥約百四十トンの六割にあたるゴミ五十トン、し尿三十五トンを処理
浜松市史 五 (公害)

工場からの廃水、家庭からの汚水、さらにゴミの投棄等が原因となっていた。
浜松市史 五 (市民運動)

栗原市政下では昭和五十五年度からゴミ10%減量運動が、同五十七年度から川や湖をきれいにする運動と豊かな
浜松市史 四 ([環境・食品衛生の徹底])

これについて『広報はままつ』では、その原因が「戦災後、下水やゴミ箱が整備されないまま不規則な建築がおこなわれ
浜松市史 五 ([高度経済成長期の予算])

推進 PTA負担の軽減 児童会館の建設 川や悪水路の改修 下水道施設の建設 体育館の建設 ごみ
浜松市史 五 ([高度経済成長と人口の増加])

これらの人口圧の増大が、都市部での住宅難、交通渋滞、ゴミ問題や公害問題などの都市問題を引き起こしていく
浜松市史 五 ([放置自転車への対応])

このため、同村では同年七月六日に長期にわたって放置されていた自転車など二十二台を撤去、粗大ごみとして処分
浜松市史 五 ([放火事件の増加])

そのため浜松市消防本部は対策として建物の周囲に燃えやすい物を置かないこと、ゴミは指定された時間、場所に
続三ヶ日町史 (続 三ヶ日町史 目次)

354 三、医療 360 第七節 環境・防災 361 一、三ヶ日の地質と気象 361 二、ゴミ・
浜松市史 五 ([環境基本計画の策定])

このような折、静岡県は平成八年三月に静岡県環境基本条例を制定、その中で県民には①生活排水をきれいに、②ごみを
浜松市史 五 ([子供会と児童会館])

市内各地の子供会では町内清掃や児童遊園地や神社の清掃、ごみと危険物の分類作業、小学校のプール建設資金を
浜松市史 五 (浜名湖の水質浄化)

しかし、昭和三十年代後半に入ると周辺の都市化(住宅や工場の進出等)により生活・工場排水の増加やごみの投棄
浜松市史 五 (国際交流)

この場では日本語教育の充実やごみの出し方など、様々な問題が提起された。,ただ、日々の生活の中で生活習慣の違いや言葉が通じないことからくるトラブル(ごみ出し、騒音、路上駐車など
浜松市史 五 (佐鳴湖の浄化)

このほか、佐鳴湖をきれいにする会は昭和六十一年から佐鳴湖のクリーン作戦を始め、湖岸のごみや空き缶などを
浜松市史 五 ([多くのスポーツ施設の開設と改修])

ここは昭和四十五年にごみ焼却場の熱を利用して建設された屋内温水プールに隣接した位置にあり、五十メートル
しいの森はぎの原:わが町文化誌 (浜松市立北部公民館『しいの森はぎの原:わが町文化誌』 目次)

肉牛 養豚 自衛隊 ジェット機 牛道 浜松城 石垣】  153 ダスト・肥取り 【鐘の鳴る丘 ゴミ
浜松市史 五 (目次)

                 二四        清掃公社の発足とし尿処理の近代化        ごみ,下水道事業と清掃事業              四三九        下水道事業        ごみ,       西部衛生工場の建設とその反対運動        東部衛生工場の建て替え        ゴミ
浜松市史 四 (目次)

神久呂村志都呂の入野村編入        町村合併の推進        清掃法・清掃条例の施行とごみ・,健民運動と町を住みよくする運動        国民健康保険事業の準備        コンポストでのごみとし
浜松市史 五 ([現代総説(下)])

そして、下水道と衛生工場の建設・ゴミ10%減量運動など清掃事業の推進、さらに美しい都市景観の育成にも力
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