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浜松市史 四
([浜松北基地の誕生])
浜松北基地の誕生] 【第一航空団 第二航空団 浜松南基地】 昭和三十一年九月から航空団による本格的な
ジェット
, 【浜松北基地 T33ジェット練習機 F86Fジェット戦闘機】 浜松北基地への
ジェット
,格納庫の前に広がつた幅百五十メートル、長さ四百五十メートルの
ジェット機
係留場(エプロン)には、牽引車に,戦闘機六十六機計八十一機が移動を完了、新発足の浜松北基地はいよいよ本格的に第一航空団のホームグランドとしてわが国
ジェット
,
機
のメッカとなつた。」
浜松市史 四
([事故の続発])
[事故の続発] 【
ジェット機
の事故】 昭和三十一年九月から浜松で本格的な
ジェット機
の訓練が開始されたことは,前述の通りだが、翌年から三十三年にかけて浜松基地に所属する
ジェット機
の事故が相次いで起こり、関係者はもとより,当時の新聞は、指宿二佐がジェットパイロットの第一人者であったこと、F86Fの
ジェット機
事故としては日本初,同年四月十五日の事故は米軍顧問団員操縦のF86Fの
ジェット機
が着陸体勢に入った時に火を吹き始めて浜松市営球場,F―86F二機訓練中接触、三重県尾鷲市南東海上に墜落出典:『静岡新聞』より作成 図3-12
ジェット
浜松市史 四
([航空団の新設とジェット基地化])
[航空団の新設とジェット基地化] 【
ジェット機
航空団 ジェット戦闘機】 昭和三十年九月二十日、,メートル)の東端に幅八十メートル、長さ七百メートルを延長し、二千メートルのコンクリート滑走路をつくり、
ジェット
,
機
の離発着に対応できるようにしたのである。,十月からは整備学校で
ジェット機
整備員の教育が開始された。
浜松市史 五
([ジェット戦闘機の訓練とその成果])
[ジェット戦闘機の訓練とその成果] 【航空団 浜松北基地 第一航空団
ジェット機
】 昭和三十年(,当時同団で使われた
ジェット機
は、F86F、T33であった(表2―3)。,同団には、一応
ジェット機
を操縦できるようになった「パイロット一年生」たちが配属され、本格的な操縦訓練の,表2-3 浜松北基地の
ジェット機
数の推移 (単位:機) 新聞掲載日 機種 計 T33ジェット
浜松市史 五
([増え始めた公害の苦情])
航空自衛隊の基地を抱え、
ジェット機
騒音など基地に関わる公害が深刻になっていた浜松市では、昭和三十八年二月七日,に浜松市自治会連合会の臨時総会が開催され、
ジェット機
騒音に対して市が積極的に防衛庁に働き掛けることを要望
浜松市史 四
([騒音問題])
萩丘小学校】 昭和三十一年九月、浜松に出来た航空団ではジェット戦闘機の操縦訓練が開始され、改めて
ジェット
,
機
が出すこれまでにない騒音に市民は驚いた。,基地側の話では、本格的な訓練に入ると一日六時間に延べ百機の
ジェット機
が離陸するという(『静岡新聞』昭和三十一年十一月二日付
浜松市史 四
([実験航空隊の編成])
これは初歩の練習機から高速
ジェット機
に乗り組むまでの中間過程の訓練機であった。
浜松市史 四
([派出所の建設と新しい装備])
#160; 【航空自衛隊浜松基地 化学消防車】 なお、浜松市の消防ではないが、航空自衛隊浜松基地に
ジェット
,
機
の離着陸時の火災事故に対応する化学消防車が昭和三十二年七月以降、四台配置された。,これは乗員四名で最高時速は九十六キロ、
ジェット機
に伴走して緊急事態に備えることが出来る消防車であった。
浜松市史 五
([危険地帯の民家移転])
基地は
ジェット機
の訓練の安全を主目的に昭和三十四年滑走路北側に新誘導路兼滑走路を完成させた。,また、
ジェット機
墜落とともに谷上の人たちを悩ませていたのは、その爆音だった。
浜松市史 四
([見学者の急増])
日の丸ジェット戦闘機の歴史が浜松で始まり、プロペラ機にない轟音と音速に近い猛スピードで飛ぶ
ジェット機
に
浜松市史 五
([見学者の増加と体験入隊])
これは浜松に初めて登場した
ジェット機
への関心の高さを物語る。,練習機、メンター、ヘリコプターなど航空機展示場から展望台までの約一時間、展望台では南北両基地の飛行場と
ジェット
,
機
の離着陸訓練が見学できた(『静岡新聞』昭和四十五年十月二十四日付)。 ,内容的には映画鑑賞、基地司令との雑談、隊員と昼食、各
ジェット機
の操縦法等を学んだ(『静岡新聞』昭和四十二年十月十三日付
浜松市史 五
(防音校舎)
防音校舎 航空自衛隊浜松基地では昭和三十一年九月からジェット戦闘機による操縦訓練が開始されたが、
ジェット
,
機
の出す爆音の大きさに市民は驚いた。
浜松市史 五
([ブルーインパルスと東京オリンピック・万博])
同三十三年十月十九日浜松北基地の開庁記念日に三機編隊で十五分間の飛行を行い、それまで日本では
ジェット機
浜松市史 四
([保安隊から自衛隊へ])
とあり、さらにMSA(日米相互防衛援助協定)援助が実施されると、航空学校にも三百二十機から千四百機(うち
ジェット
,
機
九百五十機)が配備され、隊員は四万三千人にする計画であると伝えている。
浜松市史 五
([騒音問題と周辺住民との交流])
[騒音問題と周辺住民との交流] 基地に
ジェット機
が配備されてから、騒音が大きな問題となり、昭和三十四年五月十二日地元民
浜松市史 四
(浜松赤十字病院)
なお、同三十四年六月には航空自衛隊浜松北基地の
ジェット機
騒音防止の補償工事の対象に入り、病舎の調査が行
浜松市史 四
(遠州病院)
なお、昭和三十四年六月、日赤と同様に航空自衛隊浜松北基地の
ジェット機
騒音の補償工事の対象になり、整備されることになった
浜松市史 五
([救難航空隊の災害派遣])
伊勢湾台風 災害派遣】 図2-10 災害派遣に活躍する救難航空隊 昭和三十二年度に続発した
ジェット
,
機
事故対策として同三十三年三月浜松基地に臨時救難航空隊が編成され、同年十月救難航空隊と改称された。
浜松市史 四
([健民運動と町を住みよくする運動])
交通事故をなくする運動では交通規則の遵守、青少年の非行防止など、騒音をなくする運動では規定のマフラー装着、
ジェット
,
機
の郊外飛行の完全実施、サイレンの吹鳴時間の短縮などが行われた。
浜松市史 四
([航空自衛隊の発足])
それによると、浜松の操縦学校では基礎的な訓練を受け、ここを卒業すると宮城県松島で
ジェット機
のT―33などで
浜松市史 四
([基地の大拡張と反対運動])
、F86Fジェット戦闘機が同月下旬に築城基地から浜松に移動して来るとあるので、基地は手狭ではあるが、
ジェット
,
機
の発着には支障は無かったのだろう。
しいの森はぎの原:わが町文化誌
(浜松市立北部公民館『しいの森はぎの原:わが町文化誌』 目次)
籾がら火鉢】 151 家畜の話 【畜産 鶏 役牛 乳牛 ハラデリー牧場 肉牛 養豚 自衛隊
ジェット
,
機
牛道 浜松城 石垣】 153 ダスト・肥取り 【鐘の鳴る丘 ゴミ箱 六間坂 肥車 姫街道
浜松市史 四
(図・表一覧)
3-11 松城官庁街の大火を報ずる『静岡新聞』 『静岡新聞』昭和33年4月15日付 3-12
ジェット
,
機
飛行コース 『静岡新聞』昭和32年4月24日付 (教育) 3-13 静岡県教育委員
浜松市史 五
(図・表一覧)
実績 浜松市・浜松市基地対策協議会『基地対策の概況』昭和61年 昭和61年発行 2-3 浜松北基地の
ジェット
,
機
数の推移 『静岡新聞』昭和37年10月1日、40年2月25日、41年5月21日、45年7月14日付
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