• 機関トップ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧
  • 参照データ一覧

浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

  1. トップページ
  2. 詳細検索

詳細検索


検索条件を追加
閉じる
検索結果 : 44件
辞書ファセット
/ 1ページ
浜松市史 五 (タクシー)

タクシー 昭和二十年代後半から増加し始めたタクシー需要は、昭和三十年代後半から四十年代にかけて大きな,『浜松市統計書』によれば、市内の法人タクシー会社が所有するタクシー台数および乗車人員は、昭和三十八年にそれぞれ,昭和四十六年時点での市内の主要タクシー会社は八社で、戦前創立された会社が二社、戦後昭和二十年代後半に創立,【個人タクシー】  昭和三十九年十二月に個人タクシー三業者が認可され営業を開始した。,この結果、法人タクシー、個人タクシー入り乱れての競争が展開されることになった。   / タクシー
浜松市史 三 (タクシー全盛)

タクシー全盛 昭和へはいると、市内にはタクシー会社が乱立し烈しい競争を展開した。,そのため三年の末にはタクシーが市内五十銭均一に値下げして対抗ということもあった(サイドカータクシーは小型,サイドカータクシー   (表)タクシー業者 萬歳自動車商会(駅前) 千歳自動車商会 浜松構内,タクシー ホワイト自動車商会(伝馬町) ハヤイタクシ-(自動車弘業株式会社) 平和自動車商会 新町タクシー,(砂山) 日本自動車営業部(栄町) 浜松小型タクシー 浜松タクシー 中央タクシー 山やタクシー 福長タクシー / タクシー全盛
浜松市史 三 (市内タクシー)

市内タクシー 浜松地方のタクシー営業は大正九年の万歳自動車商会(創立者磐田郡阿多古村出身加藤猛)が最初,で、ついで十一年に八木橋周助(前述)らによって浜松タクシー自動車商会が創立されている。 / 市内タクシー
浜松市史 三 (タクシー会社合併)

タクシー会社合併 それに当時のタクシー業者の殆どは小資本の個人経営であったが、昭和十一年十一月には一部,の業者の合併による法人としての浜松タクシー株式会社(本社伝馬町、社長青葉延太郎)が誕生、さらに十六年三月 / タクシー会社合併
浜松市史 四 ([タクシー営業再開])

[タクシー営業再開] 【タクシー】  浜松のタクシー業界は、昭和十一年(一九三六)に浜松タクシーと,合同タクシーの二社に統合された。,焼失による車両の不足、またガソリン等の燃料不足やタイヤ、チューブ等の資材不足、そして道路状況のために、タクシー,二十一年になって、浜松タクシーが焼け残った二台と戦時供出の返還車三台の計五台でようやくタクシー営業再開,これに刺激を受けて、昭和二十二年六月には中央タクシーが、二十三年には浜松交通タクシーが設立された。 / [タクシー営業再開]
浜松市史 四 ([設立相次ぐタクシー会社])

[設立相次ぐタクシー会社] 産業の復興とともに、タクシーの需要も増大するようになり、昭和二十六年五月,に遠鉄タクシー(同年十一月遠鉄自動車興業、二十九年十月遠州自動車興業、三十年五月遠州タクシーに名称変更,)、同年六月に光タクシーが設立され、二十八年三月には舘山寺タクシー、同年十月に富士タクシーが設立された,設立当初は各社とも所有台数は少なかったが、二十八年末に、浜松タクシー・中央タクシー・浜松交通タクシー・,遠鉄タクシー・光タクシー・富士タクシーの浜松市内の大手タクシー六業者の従業員は二百名に達し、団結して組合 / [設立相次ぐタクシー会社]
浜松市史 五 ([タクシー業界の近代化と多角化])

[タクシー業界の近代化と多角化] 【車両位置自動表示システム】  平成五年十二月、遠鉄タクシーは、,このほか介護タクシー、自転車運搬サービス、おとどけタクシー等、利用者のニーズに合わせたサービスも行われるようになった,平成十二年六月には浜松交通、浜松タクシー、富士タクシー、浜北タクシーの四社が顧客の相互融通などで提携し,同年七月、遠鉄タクシーは同社と子会社である遠鉄観光タクシーの配車センターを統合した。,さらに平成十四年七月には、遠鉄タクシーは遠鉄観光タクシーの合併に踏み切った。 / [タクシー業界の近代化と多角化]
浜松市史 五 ([タクシー業界の合理化とサービス多様化])

[タクシー業界の合理化とサービス多様化] 【無線機】  昭和三十年代中頃からタクシーに無線機が取り,【個人タクシー】  昭和三十九年に登場した個人タクシーは、昭和四十年代末には百十三台となった。,【観光タクシー】  昭和五十二年八月には、浜松市タクシー協会と同個人タクシー協組が参加して、観光タクシー,観光タクシーは好評で、五十四年には新たにガイド試験に百十五人が合格し、九社一団体合わせて約千台のタクシー,また、昭和五十二年十月には、浜松交通タクシーが他社に先駆けてワゴン車を改造した十人乗りジャンボタクシー / [タクシー業界の合理化とサービス多様化]
浜松市史 五 ([経営規模の拡大と合理化])

遠鉄タクシーは、昭和三十年に遠州タクシーに社名を変更、同三十三年にさくらタクシーを合併した。,昭和三十六年に、遠州タクシーは遠鉄グループ傘下となり、昭和四十年、社名を遠鉄タクシー(株)と変更した。,遠鉄タクシーは、昭和三十七年、三ヶ日タクシー(旧昭和タクシー)、同四十四年、舘山寺タクシー、気賀合同タクシー,、同四十五年、宇布見タクシーを傘下に収めた。,また、同四十六年と翌四十七年には、いずれも磐田市内のタクシー会社である丸三タクシー、中遠タクシー(株)
浜松市史 五 ([人権問題と労働運動])

同三十五年、安保闘争の高揚という社会的背景の下、遠州タクシー・中央タクシー・富士タクシーで労組が結成され,、光タクシーと浜松交通タクシーで労組が再建され、市内の全六社で労組が結成された。,翌年一月には市外のタクシー会社にも組織が広がっていったことを契機に、静岡県西部地区タクシー労組と改名した,【タクシー会社 西部地区タクシー労組】  西部地区タクシー労組は、その後、毎年の春闘で基本給のベースアップ,昭和三十八年、富士タクシーに第二組合ができ、西部地区タクシー労組に動揺が生じ、かつて十五支部六百人を超
浜松市史 四 ([メーター取り付けと外車])

[メーター取り付けと外車] 【メーター制 無線機】  昭和二十六年当時は、タクシーに料金メーターはまだ,二十八年十二月十日、県下のタクシーはメーター制を導入し、キロ制運賃となった。,さらに、三十四年九月にはタクシー車両に初めて無線機が取り付けられ、威力を発揮した。  ,一方で、このころになると市内の六タクシー業者間の競争を反映して、増車に際しては国産車に代えて性能と乗り
浜松市史 四 ([郊外に営業所を開設])

[郊外に営業所を開設] 昭和三十年ころから高度成長の波に乗ってタクシー業界も業績を向上させた。,遠州タクシーの場合には、昭和三十二年に入野、同三十三年に高林、旭町、遠鉄浜松駅構内、伊場、助信に各営業所,与へ、当村の発展を阻害」(『新編史料編五』 六交通 史料60)しているとして、高塚駅及び同付近への光タクシー
浜松市史 一 (地方農村のばあい)

住居とか寺院で年に一回の会合をもち、天神御影(てんじんみえい)の前で連歌や酒宴をひらき、むすびつきをかたくした
浜松市史 五 ([春闘と労働運動の活発化])

30日:県西部地区タクシー労組ス ト(31日も)。 ,9日:西部地区タクシー労組(13支部)12時間スト。16日:同労組24時間 スト。,29日:県西部地区タクシー労組2時間ス ト。磐田、浜北を含め5カ所で全員総決起大会。,大井川以西で袋井を除き全タクシーが止まる。,12月 1日:全自交統一行動、県西部タクシー労組18支部が2時間スト。
浜松市史 ニ (信玄刑部に越年する)

二十八日信玄は朝倉義景(よしかげ)の使僧にあい、返事をたくした。
浜松市史 三 (自動車交通の発達)

交通事故防止デー」などが設けられたが(昭和二年交通事故一〇一件中五〇件は自動車であった『浜松警察の百年』)、タクシー
浜松市史 五 (北口駅前広場)

十六角形の島式バス乗降場(十六バース)を設置し、この地下に直径五十五メートルの円形地下広場を建設、ほかにタクシー,乗降場やタクシープール、一般車の送迎者乗降場などがつくられるという。
浜松市史 一 (紀行文)

び(『都のつと』)、室町将軍義教は鎌倉御所持氏を威圧するため、永享四年(一四三二)九月、富士山見物にたくして
浜松市史 一 (第一回の挙兵)

このため天皇は、討幕の決意をかたくした。  
浜松市史 四 (テレビ)

プロレス中継などの人気番組が始まると、店先は黒山の人だかりとなり、バスやタクシーが動かなくなる有り様で
浜松市史 五 (駅前再開発)

またタクシーは約四十台のプールを駅前広場東側に設置、一般車用の送迎車用乗降場は、駅前広場の西側に建設するといった
浜松市史 一 (当時の紀行文)

今切の渡で京都下京の商人に書状をたくした。二十一日発足。三里で引馬。
浜松市史 四 ([弁天島と舘山寺の観光開発])

  【舘山寺 舘山寺観光ホテル 舘山寺観光協会 舘山寺タクシー 舘山寺旅館組合 入山料 国鉄周遊指定地,、これまで観光開発に努めてきた舘山寺保勝会は舘山寺観光協会と名称を変え、同年三月には徳田勝彦が舘山寺タクシー
浜松市史 五 (駅前整備)

また、さらに十六角形のバスターミナル、タクシープール、送迎車乗降場などを造るために面積が一万八千九百平方
浜松市史 三 (浜松県政)

【県権令 多久茂族】浜松県には県権令多久茂族(たくしげつぐ)(伊万里県士族)が参事高石和道とともに来任
浜松市史 五 ([新しい浜松駅の完成])

周囲にはタクシー乗降場や一般送迎者乗降場も整備された。  
浜松市史 四 ([人力車と国民車の営業])

[人力車と国民車の営業] 【人力車 国民車 厚生車】  こうしたタクシー業界の復活に先立って、戦後間
浜松市史 ニ (定助役)

しかし、「船頭のわたくし」によって御定賃銭に「かきましてとる」ことがしばしば行なわれたことは万治年間の
三ヶ日町史 下巻 (三ヶ日町史 下巻 目次)

第三節 交通の発達 二三二 一、本坂峠の開削 二三二 二、鷲津三ヶ日往還改良工事 二三五 三、タクシー
浜松市史 五 ([市民総合窓口センター])

・再交付 ●転入・転出・死亡などによる老人医療費受給資格に関する手続き ●70歳以上の人のバス・タクシー
浜松市史 四 (オートバイ工業)

(8)中央興業 昭和二十六年、タクシー業者の月村判述によって創立された会社で、四サイクル、90ccのセントラル,しかし、戦後、オートバイの製造に乗り出した企業の中には、タクシー業者、靴下製造、自動車販売業者、冷凍機販売,ポニー 大和技研工業 自動車販売 1953 原 クイン 中央興業 1951 自動車修理、 タクシー,業 1953〜57 原 セントラル タクシー業 中部自動車工業 1952 繊維機械部品 1953 原,自動車修理販売 軽 ファルコン 閉鎖 村井商会 1952 軽 ニューセンター ヤマト商会 タクシー
水と光と緑のデルタ:わが町文化誌 (浜松市立南陽公民館『水と光と緑のデルタ:わが町文化誌』 目次)

第二節 交通機関 75 乗物の移り変り 75 乗合馬車と掛塚自動車 77 大橋タクシー
浜松市史 五 ([交通安全施設の整備])

これは面的な通行規制を行って通過交通を排除し、歩行者やバス・タクシーといった公共交通機関を優先させ、商業
浜松市史 五 (目次)

バス                     二四五        国鉄バスの運行   第四項 タクシー,業界の動き               二四六        タクシー需要の増加        経営規模,       合理化と貨物営業の廃止        遠鉄高架化の完成と路線変更   第三項 バスとタクシー,スピードアップ        サービスの向上        遠鉄高架化の進展   第三項 バスとタクシー,       不採算路線の選別と整理        中小貸切バス会社の設立と競争        タクシー
浜松市史 四 (目次)

ディーゼル車の導入        近距離貸切バスの運行        国鉄バスの運行   第五項 タクシー,                    二九四        タクシー営業再開        人力車,観光客輸送        国鉄バスの路線拡大と遠鉄バス        観光バスの事業拡大   第六項 タクシー,                    七一一        設立相次ぐタクシー会社        
汽笛・ステンショ・まちこうば:わが町文化誌 (浜松市立南部公民館『汽笛・ステンショ・まちこうば:わが町文化誌』 目次)

(二)自転車 32 (三)乗合馬車 【浜松馬車会社】 32 (四)自動車 33 (五)市内タクシー,【万歳自動車商会 浜松タクシー自動車商会】 33 (六)乗合バス 【浜松循環自動車会社 浜松市営
浜松市史 四 ([都市計画事業の推進])

と記しているように、浜松駅前は広場が狭い上に、多くのバスやタクシー、自動車がひしめき、それに乗ろうとする
輝くいなほはたの音:わが町文化誌 (浜松市立東部公民館『輝くいなほはたの音:わが町文化誌』 目次)

第五章  思い出 187 一 街道と乗り物 【天神町は昼食どころ 乗合馬車 軽便鉄道 バス タクシー
浜松市史 四 ([労働組合と争議])

昭和二十八年十二月に浜松地区タクシー労働組合が、翌年三月には神経科浜松病院組合が結成されたが、これにより
浜松市史 三 (目次)

              四九九        郊外自動車交通の発達           市内自動車交通とタクシー
浜松市史 三 (写真・図版目次)

遠州鉄道株式会社提供) 五〇〇 乗合自動車の運行状況表                   五〇〇 サイドカータクシー
蜂前神社文書 (翻刻)

まへにてさいきよになされ 候うヘハとかくニ 上様御下知次第ニあるへく候を御 披露之候ハぬさきにすまし候てハかへつてわたくし
浜松市史 五 (主な参考文献)

佐久間町 『浜松市営バス記念誌』 浜松市市長室自動車運送事業清算事務局 『遠タク30年のあゆみ』 遠鉄タクシー
浜松市史 五 (図・表一覧)

浜松市市長室自動車運送事業清算事務局『浜松市営バス記念誌』昭和62年3月発行 2-39 昭和46年現在の浜松市内主要タクシー
/ 1ページ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧
  • 参照データ一覧
  • 機関トップ
  • 利用規定
  • 利用ガイド
  • サイトマップ
  • ADEACトップ
X(旧Twitter) facebook line urlcopy
トップへ
ページURLがコピーされました