機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
参照データ一覧
浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 24件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
浜松市史 五
(浜名バイパス)
浜名
バイパス
昭和四十七年七月、国道一号線の渋滞とそれによる騒音と排ガスを緩和し、浜名湖周辺の観光開発,の一環としての国道一号線浜名
バイパス
の路線が決定した。,同
バイパス
は、篠原町から浜名郡新居町大倉戸まで延長十二・九キロ、四車線を盛土造りと高架橋、途中、今切口,浜名
バイパス
は、予定より一年遅れの昭和五十三年三月竣工、同月二十四日に開通した。,同
バイパス
の通行料金は普通車二百五十円、大型車四百円とされた。 / 浜名
バイパス
浜松市史 五
([国一バイパス])
[国一
バイパス
] 【国一
バイパス
】 浜松
バイパス
は、交通量の増加に対応するため、昭和四十五年度から,【潮見
バイパス
】 浜名
バイパス
終点から豊橋市東細谷町の国道一号線に至る潮見
バイパス
(五・九キロメートル,当初、平成五年三月末までに二車線の完成を目指したがかなわず、同
バイパス
は七年半の期間と総事業費二百五十億円,
バイパス
(藤枝・掛川・磐田・浜名)について、平成十六年度から四年間かけて国と県の負担で買い取り無料開放,こうした経緯を経て、国一四
バイパス
は、平成十七年三月三十日から完全無料化された。 / [国一
バイパス
]
浜松市史 五
([国一バイパスの完成])
[国一
バイパス
の完成] 【国一
バイパス
】 国道一号線の交通難解消のためには、既述の東海道高速自動車道,の実現と国道一号線の
バイパス
建設が急務と考えられた。,国道一号線浜松
バイパス
の開設を国に働き掛けるため、昭和三十六年三月に県知事を会長とする国道一号線
バイパス
,その後も
バイパス
の交通量は増え、昭和四十五年浜松市は第二期工事として
バイパス
の拡幅と安新町や篠原町の国道一号線,図2-41 国道
バイパス
構想図 / [国一
バイパス
の完成]
浜松市史 五
([進むバイパスと環状線の建設])
[進む
バイパス
と環状線の建設] 【国道一五二号線
バイパス
】 国道一五二号線の浜松中心部と北遠を結,ぶ
バイパス
は、昭和四十三年度から着工され、下池川町から有玉南町の約四・六キロメートルが工事認可された。,同年、
バイパス
に架かる馬込大橋の建設が正式決定し、約四・六キロメートルのうちの上島町から有玉南町東名高速道路下,を通過する和地
バイパス
(延長一・二二キロメートル)の本格的工事が昭和四十八年に開始された(図3―41),図3-41 和地
バイパス
架橋工事図 【舘山寺街道
バイパス
】 しかし、舘山寺街道の渋滞問題は解消 / [進む
バイパス
と環状線の建設]
浜松市史 五
([遠州大橋の完成])
しかし、浜岡原発が着工した(昭和四十六年)ことで小笠郡大須賀町から榛原郡相良町まで国道一五〇号線
バイパス
,(小笠
バイパス
、延長二十一・六キロメートル)が昭和四十八年三月に開通したこと、総需要抑制策による道路建設予算,(延長二十二キロメートル)を建設し、さらに大須賀町から榛原郡御前崎町までの小笠
バイパス
を現行の二車線から,こうした同盟会の運動が実を結んで、昭和六十年七月、県はようやく新掛塚橋を含む
バイパス
建設を昭和六十一年度,平成十三年十月にようやく浜松市福塚町から磐田市大中瀬まで(掛塚
バイパス
)が全通した。
浜松市史 五
([主要道路の建設と道路整備])
三方原方面では、平成三年三月に国道二五七
バイパス
浜松環状線と国道二五七号が交差する三方原町交差点から東,へ同
バイパス
と後述する中ノ町都田線が交差する赤松坂交差点まで延長されると、同区間の北側のルートを通っていた,平成十六年には浜松環状線との接続に向けて、国一浜名
バイパス
坪井インターチェンジに上りランプ(連絡路)が,号
バイパス
の国道一号への接続、浅羽町区間のルート決定と早期の事業着手が要望されていた。,【舘山寺街道
バイパス
】 渋滞が深刻化していた県道四八号(舘山寺街道)の
バイパス
道路として、昭和六十三年度
浜松市史 五
([花博に向けた道路整備])
アクセス道整備計画の過程で、①竜禅寺雄踏線(県道六二号、通称雄踏街道)整備と
バイパス
の建設、②浜松環状線,平成十三年に浜松市は平成五年度から着工していた雄踏街道の
バイパス
のうち西部土地区画整理事業区域内(志都呂町,)の
バイパス
をほかの事業に先行して行うための緊急措置を講じ、国際園芸博のアクセス道路の完成を急いだ。
浜松市史 五
(橋)
また、市内中心部の交通地獄を緩和させるための
バイパス
建設(後述)も行われることになった。 ,【
バイパス
】 このため市では、①助信三方原線のうち中沢町─幸町間(二・五キロメートル、通称住吉
バイパス
,を結んで住吉町以北から中心部へ下る交通をこれへ移す、②下池川町─中沢町間(九五三メートル、通称天林寺
バイパス
浜松市史 五
([墓苑の創設])
静岡新聞』の報道にみえるのであるが、旧篠原村(昭和三十六年六月、浜松市編入)を東西に貫通する国道一号線の
バイパス
,篠原中学校に近接する南側の地点では、堤の一番北側の防砂林の一部や農地、共同墓地を壊す形で国道一号線の
バイパス
,建設費は
バイパス
の移転補償費や市費補助を合わせて八百三十万円であった。
浜松市史 五
(市議会)
総務企業 文教厚生 産業経済 建設消防 特別委員会 国鉄現線高架化促進 国道一号線
バイパス
,国道一号線
バイパス
建設では、過去三年間にわたる運動で国の新道路五カ年計画に編入の見通しがつき、昭和三十九年度
浜松市史 五
([道路計画の策定])
これに対応して、国や県・市は、地域開発計画と関わらせながら高速自動車道路の誘致、主要幹線道路などの整備や
バイパス
,この都市計画街路によれば、内・外環状線、八本の放射状街路、国道一号線
バイパス
(後述)、東海道線へのこ線橋
水と光と緑のデルタ:わが町文化誌
(浜松市立南陽公民館『水と光と緑のデルタ:わが町文化誌』 目次)
昭和の大洪水 42 水防の歴史 54 消防 55 第二章 道 ~掛塚街道から浜松
バイパス
,へ~ 57 第一節 街道 59 街道の歴史 59 掛塚街道と浜松
バイパス
63
浜松市史 五
([都市計画法と市街化区域・市街化調整区域])
また、浜松
バイパス
周辺は鉄工団地や卸商団地の開発が進行中で、市街化区域に編入すべきとの意見が強かったが,初の線引きの後、浜松市は市街化区域を東名高速道路から南側、国道一号線(浜松
バイパス
)より北側を原則として
浜松市史 五
([相互応援協定の締結])
昭和五十七年版の『消防年報』には、先の三つ以外に国道一号浜名
バイパス
における消防相互応援協定を浜松市、
浜松市史 五
([横断歩道(歩道橋・地下道)の整備])
昭和三十九年十二月、平山市長は「現在の一級国道交通を緩和する
バイパス
道路の建設促進とあわせて、市街地の
天竜川と東海道:わがまち文化誌
(浜松市立天竜公民館『天竜川と東海道:わが町文化誌』 目次)
土橋 道幅 掃除町場 一里塚 立場茶屋 脇道姫街道 2 現在の主要道路 73 旧東海道から浜松
バイパス
浜松市史 五
([東名開通、卸商団地と流通拠点の整備])
インター周辺の地主との用地買収折衝が難航したため卸商団地を先行させて建設することになり、建設用地を国道浜松
バイパス
輝くいなほはたの音:わが町文化誌
(浜松市立東部公民館『輝くいなほはたの音:わが町文化誌』 目次)
99 【飯田村の合併】 100 【死にもの狂いの闘い 新幹線反対運動】 101 【大動脈一号線
バイパス
浜松市史 五
(目次)
道路の改良・舗装と国道昇格 東名高速自動車道の建設 国一
バイパス
,インター開設とその効果 浜名湖大橋完成と村櫛・舘山寺道路の開通 浜名
バイパス
,の開通 遠州大橋の完成 進む
バイパス
と環状線の建設 道路舗装率百,工事開始 三遠南信自動車道の建設 かささぎ大橋の開通 国一
バイパス
浜松市史 五
([東名高速自動車道の建設])
流通業務センター内に協同組合浜松卸商センターの建設が計画されたが用地買収が難航したこともあって、浜松
バイパス
浜松市史 五
([浜松まつりの見直し])
・浜松
バイパス
の完成によって、市内中心部と中田島との交通緩和。
浜松市史 五
([労災病院誘致])
しかも三方原用水事業、国鉄新幹線、東海道高速自動車国道、東海道
バイパス
道路の建設など、公共事業がこの地方
浜松市史 五
(図・表一覧)
20日発行 2-40 高速道路各路線案 『静岡新聞』昭和38年6月1日付(作図) 2-41 国道
バイパス
,月発行 3-40 浜名湖周遊道見取図 『静岡新聞』昭和50年6月21日付(作図) 3-41 和地
バイパス
浜松市史 五
([現代総説(下)])
こうしたなか、浜松市民の念願であった国道一号線の
バイパス
や東海道本線の高架化の完成が、当初計画よりも遅
/ 1ページ