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浜松市史 四
([浜松市営プール])
[浜松市営
プール
] 【浜松市営
プール
稲勝正太郎 田畑政治 元城
プール
】 浜松市は市制四十周年記念事業,として、また、古橋選手の活躍を讃え、第二・第三の古橋を育てるべく市営
プール
の建設を決めた。,総工費七百万円を投じて造られた浜松市営
プール
は九コースで五十メートル、スタンドは一万二千人収容の大
プール
,
プール
開きは日米交歓水上大会当日の午前十時、続いて東海四県対抗高校水上大会などが開かれた。,この日、坂田市長は浜松市営
プール
を元城
プール
と命名した。 図2-28 浜松市営
プール
/ [浜松市営
プール
]
浜松市史 四
([プールと講堂])
[
プール
と講堂] 【
プール
】 東小学校に
プール
が完成したのは昭和三年、小学校では市内で初めてのことで,昭和三十年代に入ると、多くの学校で
プール
建設が進んだが、昭和三十一年八月に完成した浅間小学校の
プール
(,当時、市内の小学校三十八校中、
プール
があるのは浅間小学校を入れて八校であった。,昭和四十年代に入っても蜆塚中学校では
プール
の中で卒業式を行っていたほどである。,写真の説明には「講堂がないため、ことしも
プール
で卒業式を行なった」と出ていた。 / [
プール
と講堂]
浜松市史 五
([体育館とプールの建設])
【
プール
】
プール
は体育館と比べて比較的安価で出来たため、市内のほとんどの小中学校では昭和三十年代,比較的早い時期での
プール
は浜名郡篠原村の篠原中学枚のもので、昭和三十二年七月に完成した
プール
は小中学校,この二校の
プール
の完成により、市内の四十五小学校のうち三十二校が、二十四中学校のうち十五校が
プール
を持,、周辺住民も利用できる住民
プール
という名目で完成させた。,学校の
プール
は昭和五十年代に入って大きく変わることになる。 / [体育館と
プール
の建設]
浜松市史 四
([スポーツ・文化施設])
また、市営
プール
は市制四十周年記念事業として建設を進め、昭和二十五年八月八日に
プール
開きとなったが、この,そして坂田市長は市営
プール
を元城
プール
と命名している。
浜松市史 三
(競泳時代 競泳大会 名選手の輩出 浜一中全国制覇 浜商全国制覇)
【
プール
】競泳時代を迎えて新しくクロール泳法を導入するとともに
プール
の必要性を痛感し、大正十年に協会員長谷川鉄雄,(前述)の尽力により浜名湖弁天島(北弁天)に長百メートル、幅三十メートルの
プール
の建設がなった。,本県最初の
プール
であった(浜中二五メートル
プール
は大正十二年、浜松高工二五メートル
プール
は同十四年、浜商
浜松市史 三
(日米水上大会)
日米水上大会 昭和十二年に浜一中に五十メートル公認
プール
が竣工し、同
プール
で八月に浜名湾遊泳協会主催
浜松市史 四
([日米交歓水上大会])
日米交歓水上大会] 【日米交歓水上大会】 日米の水泳選手が浜松に来る前の昭和二十五年八月四日から六日まで神宮
プール
,午後三時五十八分元城
プール
に到着、アメリカ選手一行は一万二千人の大観衆の万雷の拍手で迎えられ、続いて日本選手,も
プール
を一周して入場式を終えた。,古橋や橋爪の登場以来、日本中が水泳競技に熱中し、プロ野球を圧倒するほどの人気となったが、ここ浜松でも
プール
浜松市史 五
([社会体育])
【屋内温水
プール
】 ごみ焼却場の余熱を利用した江之島町の屋内温水
プール
が一般開放されたのは昭和四十五年九月二日,大人用の大
プール
と子ども用の徒渉池からなり、年間を通じて水泳が出来るとあって大変な人気を呼び、開設から
浜松市史 四
(水泳)
舞阪中学校の水泳部で力を付けた新井里子は
プール
のなかった信愛高等学校に進んだが、浜松北高校の
プール
などで,この年信愛高校には公認の五十メートル
プール
が完成した。
浜松市史 五
(駐車場)
民間駐車場を経営する十七業者(合計で五百七十三台収容可能)が、料金の統一など連携を深めるため、浜松モーター
プール
,協会(昭和三十九年三月、浜松モーター
プール
協同組合に改組、組合員三十四人)を設立した。 ,この結果、昭和四十二年には市内の浜松モーター
プール
協同組合加盟業者は六十九人、収容能力二千台に増加したが
浜松市史 五
([多くのスポーツ施設の開設と改修])
(元城
プール
)はこの後も様々な大会が開催されてきた。,ここは昭和四十五年にごみ焼却場の熱を利用して建設された屋内温水
プール
に隣接した位置にあり、五十メートル,競泳
プール
(九コース)と飛び込み
プール
は日本水泳連盟公認
プール
となった。,この
プール
には二千五百人収容のスタンド、電光掲示板、ナイター設備、トレーニング室などを備えていた。,翌年には屋外に二十五メートル
プール
が完成した。
浜松市史 三
(理科室)
【
プール
】体操ではスポーツや舞踊が行なわれ、東小学校には昭和三年七月に市内小学校としては最初の
プール
(
浜松市史 ニ
(北濠)
北濠 城郭の北側は、切り立ったようなけわしい断崖で、深い谷(一部が市営動物園・市営
プール
となる)をなしていた
浜松市史 四
([国体秋季大会の開催])
ボクシングは経費節約のため、浜松市営
プール
に特設リングを設けた。,特設リングは水をたたえた
プール
の上に板を張り、その上に二つのリングを設けて競技を行った。
浜松市史 五
([新しいスポーツ施設])
ここには屋内の二十五メートル
プール
のほか、子供たちに人気のウォータースライダー、流水
プール
、幼児や子供用,の
プール
もある総合的な水泳場であった。
浜松市史 五
([新銭湯のオープンとスポーツクラブ])
ともに
プール
・テニスコート・エアロビクススタジオを備えていた。,後者は、西武百貨店が経営母体であり、リゾート感覚の
プール
があり、日光浴も楽しめ南国気分が味わえた。
浜松市史 四
([国体誘致と施設の整備])
このうち、水上競技は県内で大規模な
プール
を持っているのは浜松市以外にはなく、ほぼ決定という状況であった,それは飛び込み台と飛び込み
プール
がないことであった。,浜松市では水上競技が浜松市営
プール
、ボクシングが浜松市営
プール
特設リング、バレーボールが野口公園、軟式庭球,八月三十日には市営
プール
で国体の入場式の予行演習を行い、九月一日からは夏季大会の前売券が発売され、いよいよ
浜松市史 五
(浜松城公園)
市制施行四十周年記念事業として昭和二十五年に開催された浜松こども博覧会を契機に開設されたもので、当時は競泳用
プール
,動物園等が設置されており、昭和三十三年には浜松城天守閣が復興されていた(ただし、これらの施設のうち元城
プール
浜松市史 四
([国体夏季大会の開催])
開催] 【国体夏季大会】 国体の水上競技は昭和三十二年九月二十二日午前八時五十二分、浜松市営元城
プール
浜松市史 五
(駅前再開発)
またタクシーは約四十台の
プール
を駅前広場東側に設置、一般車用の送迎車用乗降場は、駅前広場の西側に建設するといった
浜松市史 三
(遊園地)
弁天島 楽園】大正十一年七月になると浜名湖弁天島(西野島)に弁天島土地株式会社経営の客席・ステージ・
プール
・
浜松市史 五
([学童災害共済制度])
これは市立の小・中学校に在籍する児童・生徒が学校での授業や課外活動、夏季休暇中の学校での
プール
開放などで
浜松市史 五
([幼稚園])
室内にはテレビを設置したり、中には
プール
をつくるところも出てきた。,比較的早い時期に
プール
が完成したのは昭和三十五年の中ノ町幼稚園と同三十六年の大久保・与進幼稚園、ただ、
浜松市史 五
([浜名湖国際頭脳センターの設立])
約百ヘクタールで、敷地内には研究・研修施設の並ぶ研究所ガーデン、滞在型研修宿泊施設、無農薬ゴルフ場、
プール
浜松市史 五
(ごみ処理施設)
また、余熱利用施設として温水
プール
も造られた。
浜松市史 四
([浜名湾游泳協会])
浜名湾高校水上大会は設備の整った浜松市営
プール
で行われ、その水準の高さから神奈川県の法政二高も出場するようになった
浜松市史 四
([浜松市教育委員会])
このころ教育委員会が直面していた問題は、児童・生徒数の急増対策として校舎を増築することや小規模学校の統合、
プール
浜松市史 三
(誘致運動)
設備の整った講堂・校庭・
プール
はしばしば市民にも利用され、校長の案になった校門の薔薇(ばら)垣は「関口
浜松市史 五
([浜松市発達医療総合福祉センターの開設])
また、平成六年七月には体育館と
プール
が完成し、機能訓練や体育教室・水泳教室が行われた。
浜松市史 五
([義務化された養護学校と盲・聾教育])
学校には後に、
プール
、体育館なども出来た。
浜松市史 四
([学校のブラスバンド編成])
翌三十年の夏には、浜松市営
プール
で開かれた全国勤労者水泳大会で入場行進時に演奏する。
浜松市史 五
(駅前整備)
また、さらに十六角形のバスターミナル、タクシー
プール
、送迎車乗降場などを造るために面積が一万八千九百平方
浜松市史 四
([松城官庁街の大火])
その一つは水利の充実で、水道に全面的に依存することなく、
プール
や自然流水の活用、貯水槽、井戸などの補助水源
浜松市史 五
(北口駅前広場)
十六バース)を設置し、この地下に直径五十五メートルの円形地下広場を建設、ほかにタクシー乗降場やタクシー
プール
浜松市史 五
([様々な活動])
平成に入ってから多くの学校で新しい体育館や
プール
、柔剣道場などの施設の整備が続いた。
浜松市史 五
([幼稚園])
また、
プール
や砂場には日よけを設置したり、広い敷地を有する幼稚園には野菜畑がつくられ、園内で勤労体験が
浜松市史 五
([浜名湖パルパルのリニューアルと観光地の新たな取り組み])
、昭和四十六年に浜名湖パルパルと名称を変え、大観覧車やジェットコースターなどの遊具を増やし、ジャンボ
プール
,浜名湖パル パルにアストロジェットやジャンボ
プール
がオープン。
浜松市史 四
([各種施設の充実])
武道場や
プール
も各校に出来たが、浜松商業高等学校に出来た柔道場は更衣室やシャワーも完備していた。
浜松市史 五
([西浜松駅の誕生])
施設として上り・下りの仕訳線のほか、小口混載ホーム、コンテナホーム、オートバイホーム、自動車
プール
などが
浜松市史 五
([市議会への請願・陳情・要望])
採択のうち多いものは道路の舗装や改修、学校の校舎の増改築、体育館・
プール
の建設、信号機の設置、消防車購入
浜松市史 四
([浜松こども博覧会と浜松市動物園])
昭和二十五年は浜松市営
プール
(元城
プール
)が完成、古橋選手も参加しての日米交歓水上大会の開催、そして、
浜松市史 四
(浜松市立郷土博物館)
国体の水上競技が行われる市営
プール
は浜松城跡のすぐ北側、九月二十二日の開会式までには完成する予定であった
浜松市史 四
([図書館の開館])
昭和二十二年四月に就任以来、市営住宅や小中学校十四校、市営球場などの建設を成し遂げ、昭和二十五年は七月に浜松市営
プール
浜松市史 五
([腸管出血性大腸菌(O157)])
感染源の特定が遅れたこともあって、生鮮食料品問題や学校
プール
閉鎖などの社会問題化した。
浜松市史 五
(中学校のクラブ活動)
水泳では昭和三十六年八月二十三日から三日間にわたって浜松市営元城
プール
で第一回全国中学生選抜水泳競技大会
浜松市史 五
([静岡大学工学部の発展])
功績をたたえ、関連する機械・機器を展示する高柳記念館が昭和三十六年十月に、同四十二年には五十メートル
プール
浜松市史 五
([PTA活動])
当時は
プール
、体育館、給食室の建設にはPTAの負担が求められていた。
浜松市史 四
([新制中学校の建設])
ここは立派な校舎はもちろん、講堂や
プール
も完備していて模範的な新制中学校になった。
馬込川が流れるまち:曳馬地区わが町文化誌
(浜松市立曳馬公民館『馬込川が流れるまち:曳馬地区わが町文化誌』 目次)
十五 明治の出来事 110 第五章 人々のくらし 懐かしい馬込川 【上島小学校
プール
浜松市史 五
([子供会と児童会館])
市内各地の子供会では町内清掃や児童遊園地や神社の清掃、ごみと危険物の分類作業、小学校の
プール
建設資金を
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