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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

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浜松市史 ニ (現存の一里塚)

現存の一里塚 一里塚は一里ごとに道路の両側に塚を築き、普通には榎を植えて、旅人の便に供したものである,浜松宿近郷の一里塚で、現在昔の俤をとどめているのは姫街道の市野から三方原台地に登り、追分に近い道側に一基 / 現存の一里塚
浜松市史 ニ (天保期の一里塚)

天保期の一里塚 天保十四年の状態をしるすとつぎのようである。  ,浜松宿から天竜川にいたるまでの東海道筋には一里塚が二か所 【向宿】向宿村地内  南の塚は松、北の塚は,気賀村地内、右の塚は中下刑部村地内にあって、ともに立木は松(『東海道浜松宿大概帳』)   (表)西遠地方一里塚表,静岡県史蹟名勝天然記念物調査報告』による)   名称 日本橋よりの距離 北 南 東海道 安間 一里塚,新居 〃 69里 西町368 西町369 白須賀 〃 70里 元町477 宅地となる 姫街道 小池 一里塚 / 天保期の一里塚
浜松市史 三 (姫街道)

は、県会で明治十二年県費支弁の道路に指定されたが(『天王村誌』)、放置されたままで修理も行なわれず、一里塚
浜松市史 三 (借家建築)

【士族屋敷】また士族方の長屋も完成し、十二月十四日には一里塚の御長屋五十軒に御家中の五十戸移住がはじまり
解説「国絵図」 (解説「国絵図」)

一里塚は道の両側に黒丸で表記されている。,追分、東大山、老が谷、山田、大谷、三ヶ日、本坂、嵩山の一里塚が確認できるが、小池一里塚は未記載である。,一里塚の記載はない。,一里塚については、東海道と同様に記載されていない。,また一里塚を黒丸で道の両側に表示する点も合致する。
浜松市史 五 ([浜松市指定文化財])

・浜松城跡(史跡、元城町)    ・追分一里塚(史跡、葵町)   ・根上り松(天然記念物、鴨江町) 
浜風と街道:わがまち文化誌 (浜松市立篠原公民館『浜風と街道:わがまち文化誌』 目次)

のしくみと文化遺産― 65 立場 浅田屋 萬松院 神明宮 八阪神社 保泉寺 67 宝林寺 玉蔵寺 一里塚
天竜川と東海道:わがまち文化誌 (浜松市立天竜公民館『天竜川と東海道:わが町文化誌』 目次)

昔懐かしい東海道 57 江戸時代の東海道 街道筋の村々と松並木 傍示杭 板橋・土橋 道幅 掃除町場 一里塚
浜松市史 ニ (目次)

                   一七一        浜松を中心とする街道        姫街道        一里塚
輝くいなほはたの音:わが町文化誌 (浜松市立東部公民館『輝くいなほはたの音:わが町文化誌』 目次)

【戦国の世に飯田に住みついた武士たち 大塚郷左衛門 渡瀬源左衛門】 63 【にぎわう東海道 向宿の一里塚
しいの森はぎの原:わが町文化誌 (浜松市立北部公民館『しいの森はぎの原:わが町文化誌』 目次)

万葉集遠江歌新考 檜隈 渡来人 市歌】  15 姫街道追分三辻 【二つの道 宇藤坂 千人塚古墳 追分一里塚
解説「浜松城絵図と城下絵図」 (解説「浜松城絵図と城下絵図」)

東海道関係では、向宿・若林の2つの一里塚が黒丸で示され、沿道の松並木も描かれる。
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