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馬込川が流れるまち:曳馬地区わが町文化誌
(浜松市立曳馬公民館『馬込川が流れるまち:曳馬地区わが町文化誌』 目次)
茶 太藺 たばこ しょうが 綿】 15 ・現在の農業 17 献上米と米作県下一の栄誉 【
上島
四丁目,・食品工業 【助信町 浜松牛乳 第一牛乳 高林五丁目 浜松米穀】 39 ・楽器工業 【
上島
一丁目,ヤマハ車体工業 北川自動車 オートバイ ライナー号】 44 【部品工場 曳馬六丁目 勝山金属工業
上島
三丁目, 神津製作所】 45 ・機械工業 【
上島
七丁目 オリオン工具製作所 超硬刃物 助信町 アツミ電気,【二俣街道 国道一五二号 電車通り】 57 第四章 地域のあゆみ 一 阿弥陀遺跡 【
上島
小学校
浜松市史 五
(組合施行の土地区画整理事業)
、また、芳川地区でも四つの組合(本郷、安松、頭陀寺、西伝前)が施行、このほか、昭和四十年代後半からは
上島
,同五十年代では早出北、
上島
東、十軒、
上島
西などで、同六十年代は有玉西、半田や東洋紡績浜松工場跡地の土地区画整理
浜松市史 四
([道路延長の急伸と街路計画の進展])
1.14 佐鳴湖東岸線 入野・富塚 20 Ⅱ. 2. 3 砂山掛塚線 砂山・河輪 16 Ⅱ. 1.15
上島
和合線,
上島
・和合 20 Ⅰ. 3.12 鴨江和合線 鴨江・和合 25 Ⅱ. 1.16
上島
市野線
上島
・長上,佐鳴湖西岸線 入野・富塚 12 Ⅰ. 3.18 天神名塚線 天神・名塚 27 Ⅱ. 1.19* 山下
上島
線,山下・
上島
20 Ⅰ. 3.19 曳馬早出線 曳馬・早出 25 Ⅱ. 2. 8* 鴨江西伊場線 鴨江
浜松市史 三
(曳馬町)
曳馬町 曳馬町は町村制施行によって
上島
・一本杉・早出・細島新田・十軒新田・島之郷・高林・助信・新津・,その後昭和九年二月十一日に町制をしき曳馬町となったが、十一年二月十一日には残る全町(高林・
上島
・一本杉
浜松市史 ニ
(年ごもり)
年ごもり 天白社(当市
上島
町高貴神社) 大晦日。
浜松市史 五
([遠鉄高架化の進展])
同高架化事業によって、助信、曳馬、
上島
の三駅が高架駅となり、二十一カ所の踏切が除去され、都市計画道路三路線,この間、
上島
駅周辺の高架化に伴う区画整理事業計画に対して、一部周辺住民の反対はあったが、平成十七年二月二日
浜松市史 四
([街路計画の立案と整備])
び舗装状況 国道 県道 市道 24年:3カ年計画で浜松雄踏線3000m道路改良 24~25年:
上島
天神線,(
上島
~上新屋間)3000mの道路改良 25~26年:天竜川東、磐田市に至る3000mおよび浜名郡新居町地内,1500mの道路改良 25年:3カ年計画で浜松掛塚線700mの道路改良26年:二俣浜松停車場線(
上島
町地内
浜松市史 五
(防音校舎)
基地周辺の学校にも深刻な影響が出始め、昭和三十二年度と翌年度にかけて関係する萩丘・
上島
・伊佐見の各小学校,木造の施設を鉄筋コンクリート造の防音施設に改築する工事が始まったのは昭和三十八年度で、以後、伊佐見・
上島
浜松市史 三
(新県道)
【都市計画線】また都市計画線(停車場線、旭・
上島
線、伝馬・掛塚線、成子・若林線を中心に)も予算の不足に
浜松市史 五
([合理化と貨物営業の廃止])
進め、同年には遠州八幡、自動車学校前、積志、遠州小林、遠州岩水寺の五駅、昭和五十年には遠州馬込、遠州
上島
浜松市史 ニ
(浜松領の成立期)
・三嶋新屋・馬領家・上中嶋・向宿・堀込・佐藤一色・馬込・野口・船越一色・茄子一色・新津・嶋郷・早出・
上嶋
,・上池川・八幡・寺嶋地・田町・板屋町・新町外塩之口役高ニ入 53か村 (一万三千石余) 豊田郡の内
上嶋
浜松市史 ニ
(俳諧と浜松 宗因の来遊)
上島
鬼貫(かみじまおにつら)(一六六一-一七三八)も同時代の俳人として蕉風の影響をうけている。,
上島
鬼貫は元禄三年(一六九〇)九月、遠江を通ってつぎの文を残している。
浜松市史 四
(本田技研工業)
当初
上島
町地内が第一候補となったが地主との折衝がうまくいかなかったため、第二候補地として葵町の飛行第七連隊跡地
浜松市史 ニ
(流行の仏たち)
船越上之郷佐藤永田長命白鳥羽鳥 観音堂 6 中田北嶋松小池長命笠井永嶋 地蔵堂 5 馬込天王北嶋壱貫地
上嶋
,大日堂 2 薬師天新田 昆沙門堂 1 松木嶋 十王堂 1 壱貫地 太子堂 1
上嶋
辻堂 1 上新屋
浜松市史 三
(市内道路の改良)
元城線車歩道分離 666 10.8 9 北庄内・和地村新設 1,152 3.6 昭和3 1
上島
線延長,63 18.9 2 肴町舗装 500 3 二俣・浜松停車場線改良 (尾張・高林・
上島
町間)
浜松市史 ニ
(馬込川の禁猟)
まったのは浜松城主松平伯耆守資俊のころで、川筋の馬込・船越・茄子一色・細嶋・早出・十軒新田・嶋之郷・
上嶋
浜松市史 ニ
(諏訪信仰と天竜川)
は八幡社関係の神社につぎ十四か村(細嶋・天王・長命・羽鳥・中瀬・下小嶋・壱貫地・永嶋・中野嶋・蠟燭・
上嶋
浜松市史 ニ
(十二月)
年ごもり 大晦日(おおみそか) 天白社(当市
上島
町高貴神社)。
浜松市史 三
(蒲村)
上中島 向宿 馬込(木戸) 福地 塚越 佐藤一色 名切 馬領家 4 昭和11.2.11 曳馬町 高林
上島
浜松市史 三
(太藺莚 蓮根 注連作 花売)
おもと)の栽培が流行し、十六年ごろからの安値のため大損失を招いたことは今も語り草となっている(十七年には
上島
村
浜松市史 三
(中村藤吉)
②曳馬(高林・
上島
)・入野・積志・白脇(浜新田)・可美村の不毛地の開拓。
浜松市史 五
([特殊学級と交流教育])
浜松聾学校と
上島
小学校の交流が始まったのは昭和四十七年秋。,聾学校の小学部五・六年生が
上島
小学校の運動会に招待されたのがきっかけだった。
浜松市史 五
([進むバイパスと環状線の建設])
その後、高林町─
上島
町間一・三キロメートルの工事が進められ、高林町地内の四百メートルは四車線、残り九百,同年、バイパスに架かる馬込大橋の建設が正式決定し、約四・六キロメートルのうちの
上島
町から有玉南町東名高速道路下,この結果、昭和五十六年七月に馬込大橋(九十五メートル、暫定二車線)が完成、同年十二月二十五日には、
上島
町
浜松市史 四
([競馬場の設置と反対運動])
反対運動が激しく、将来の学部増設に支障があるのではないかとの判断により、昭和二十七年二月以降は早出町や
上島
町,その後高塚駅南の小沢渡町、
上島
町の市営グランド周辺などが候補地として浮上した。,十月十二日に行われた市議会競馬場設置特別委員会ではこれまでの民営化路線を放棄し市営で行うことと、
上島
町
浜松市史 ニ
(新田の種類)
その他の川沿新田として馬込川流域には
上嶋
新田・十軒新田・細嶋新田・前新田・西新田などがあり、芳川に沿って
浜松市史 三
(道路網計画)
『浜松発展史』) (表)②都市計画第1期工事道路 路線名 延長 予算年度 総延長 旭町・
上島
浜松市史 ニ
(御用金返済要求)
水野藩勝手掛用人清水帯刀と元締の水谷相馬が、六月中に上方にむけ浜松宿を通過したのを察知した高林・畑屋・中条・
上嶋
浜松市史 五
([中央地区で難航の住居表示])
また、曳馬地区も住居表示には積極的で、高林町、
上島
町、曳馬町などは昭和五十六年から同六十年にかけて住居表示
浜松市史 三
(時局教育 浜師時習寮 大久保教育)
667 337 330 大3 浜松市浅間国民学校 浅田町 9 8 517 279 238 昭14 浜松市
上島
国民学校,
上島
町 7 6 363 173 190 昭16 浜松市鴨江国民学校 鴨江町 9 8 483 245
浜松市史 一
(村櫛荘)
これは二十石の半済分十石をひいた残り十石にあたる銭である(
上島
有「東寺寺院経済に関する一考察」『国史論集
浜松市史 四
([陸軍航空廠浜松分廠])
ここも昭和二十年二月十七日の空襲で本部建物を焼失してしまったので、市内
上島
地区の演習廠舎に分廠本部、兵舎
浜松市史 五
(鉄道線)
その後、遠州
上島
駅、遠州小松駅、遠州西ヶ崎駅の改築を進めた。
浜松市史 四
([三十六メートル道路の驚き])
[三十六メートル道路の驚き] 街路計画のうちでも伝馬池川線(通称市役所前通り)と旭
上島
(旭八幡)線(
浜松市史 ニ
(検地の実施)
新堀・松木嶋・高薗・八幡・下小嶋・壱 新田のみ 貫地・永嶋・倉中瀬・中野・中野嶋・蝋燭・
上嶋
,における浜松地方の検地実施の大勢一覧表・後半 実施年代 村落名 備考 元禄2 瀬・中野・中野嶋・蠟燭・
上嶋
浜松市史 三
(中村精と柳宗悦の来浜 高林兵衛と日本民芸美術館)
大工は有玉の吉田徳十、瓦師は
上島
の川合梅太郎で、展覧会用の仮建築ではあったが日本最初の民芸館であった(
浜松市史 一
(村櫛荘)
村櫛荘が、東寺に寄進されるまでは、後宇多上皇などの本家と陸奥守重時などの領家があった(『東寺百合文書』、
上島
有
浜松市史 五
([木造校舎から鉄筋コンクリートの校舎へ])
校舎については『浜松市史』四で述べたが、昭和三十三年度の十三校の校舎の増改築工事のうち、鴨江・新津・
上島
浜松市史 ニ
(職人町と屋敷)
大工役 119軒 木挽役 37軒
上島
村 1軒 神明町 1軒 江川村 4軒 新町 4軒 大工頭 1
浜松市史 ニ
(禅宗)
御給 松嶋 恒武 安間 薬師 富屋敷 下中嶋 下前嶋 笹ケ瀬(末寺26寺) 西来院● 高町 早出
上嶋
細嶋
浜松市史 四
([農繁休暇と手伝い])
昭和三十三年も六月に約一週間、秋はやや短縮され十一月六日から八日まで(三年生の一部は補習)行われたが、
上島
浜松市史 五
([マンションの建設])
これ以降、特に同四十八年には浜松ではマンションブームが到来し、和地山や蜆塚、
上島
などで多くのマンション
浜松市史 三
(遠江国報徳社 報徳の教義)
「繰返し」耕法にみられるように報徳の教義は天竜川の水害に苦しむ農民の願望と自然と一致し、老間・都盛・
上島
浜松市史 四
([騒音問題])
市内の防音工事は昭和三十二年度の萩丘小学校が最初で、同三十三年度には同校のほか、
上島
・伊佐見の各小学校
浜松市史 四
(土地利用計画)
36メートルとす (変更) 昭和29年に街路番号Ⅰ.1.2号、幅員36メートルとした Ⅰ 1 1 旭
上島
線,旭町
上島
町 助信町 36 〃 但しⅠ.1.4号線との交会点より終点に至る区間の幅員はこれを27メートル,児童公園 4 和地山公園 和地山町、追分町 10.16 8.50 普通公園 地区内 5 四ツ池公園 幸町、
上島
町
浜松市史 ニ
(名前帳提出)
佐野長右衛門 羽鳥 高畑 恒武 中原 横須賀 沼 西美薗 本沢 油一色 東美薗 中瀬 永島 八幡
上嶋
浜松市史 四
([新車の導入と郊外路線の開設])
その一つは、追分町から葵町までの区間、もう一つは高林町から曳馬町を経て
上島
に至る区間であった。
浜松市史 五
([郊外での保育園の急増])
保育園 なかよし第2保育園 初生保育園 わかくさ保育園 富塚町 入野町 住吉一丁目
上島
町
浜松市史 三
(浜松地方報徳社)
28年7月 鼠野社 浜名郡芳川村 32 28年10月 相生社 浜名郡天神町村 19 28年11月
上島
社
浜松市史 ニ
(助郷の一本化)
1519 上瀬村 343 (3石減) 有新村 8.57 本郷村 421 松木嶋村 92 頭陀寺村 38
上嶋
村
浜松市史 五
([騒音問題と周辺住民との交流])
校舎の防音工事は『浜松市史』四で述べたように昭和三十二年度に萩丘小学校、同三十三年度に萩丘・
上島
・伊佐見
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