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浜松市史 ニ
(町名の変化)
町名の変化 まず東海道往還通であるが、町数において
上新町
の一か町がふえ十一か町となり、そのため町通の,【尾張町 榎町】町数は全部で二十四か町であることは変わりはないが、尾張町・榎町が姿を消し新しく
上新町
・,
上新町
は宿の西はずれの東海道に、名残町は浜松より気賀に通ずる街道筋に添って発達した町である。
浜松市史 ニ
(天神社)
天神社 天神社
上新町
(当市菅原町)に在った。,明治十五年(一八八二)に七軒町と
上新町
が合併したとき菅原町と名づけたのは、祭神菅原道真にちなんだためという
浜松市史 三
(堀留運河)
堀留運河 【
上新町
船溜】さて、浜松では伝馬所の廃止によって伝馬町は交通の中心地としての地位を失ったが,、その代わりに堀留運河の開通によって浜松の新しい玄関口の観を呈するにいたったのが運河の始発点の
上新町
であった,
上新町
は明治八年十一月には火災があって十七、八軒焼失したこともあったが、川島屋とか大海屋という茶店や(
浜松市史 三
(開掘仕様案)
開掘仕様案 「仕様書」によると、
上新町
(七軒町の隣町)を起点として、その長さ八百五十四間(一五四五メートル,入野川に合流するというもので、掘割の間に水門一か所(悪水堀入口高汐防止用)と土橋六か所を設け、起点の
上新町
浜松市史 ニ
(町屋)
上新町
(かみしんまち)・七軒町(しちけんちょう) 街道の中で、東海道往還の西端に新しく発達したのが
上新町
,板屋町(いたやまち) 東海道往還の東端にできたのが新町と板屋町で、新町はもと、かや屋町(やまち)といい、
上新町
浜松市史 三
(東海道通)
【
上新町
】それに隣る
上新町
は堀留運河の開航によってお茶屋・料理屋・すし屋・煮売屋から風呂屋までが並び車力
浜松市史 ニ
(各町の長短)
田町・板屋町・新町の東海道通町道の四町で、板屋町の二百十四間が最長、百間未満は旅籠町・塩町・成子坂町・
上新町
浜松市史 ニ
(町幅)
三間は旅籠町・田町・七軒町・
上新町
・下垂町、三間未満は肴町・成子坂町・早馬町・鍛冶町・平田町・本魚町・
浜松市史 三
(堀留荷物取扱所)
(「浜松郡方役所回状」『岩井宜徳伝自書』・『松坂春英雑記』)、荷物の運漕、乗客の扱いなどの通船事務は
上新町
浜松市史 三
(浜名湖佐鳴湖の船運)
浜名湖佐鳴湖の船運 堀留運河の開通によって、新所ばかりでなく浜名湖や佐鳴湖などからも
上新町
の堀留船溜
浜松市史 三
(堀留会社)
業体は回漕業、場所浜松宿
上新町
(菅原一四番地)、株金一万五千円、株数六百株、株主八名であった。
浜松市史 三
(開掘計画案)
明治24年(1891)堀留運河(
上新町
時代)
浜松市史 三
(各町消防組 連合消防組)
によって、各町は消防組設置の必要を感じ、同年十月に新町・田町・肴町・連尺町・伝馬町・塩町・成子町・七軒町
上新町
浜松市史 ニ
(戸口の増減)
早馬町・下垂町・池町・鍛冶町・平田町・本魚町・利町・清水谷・猿屋町と十四か町だったのに旅籠町・成子坂町・
上新町
浜松市史 ニ
(宿の根幹表筋町)
【元禄期十一か町】それが元禄期には
上新町
が加わり表筋町十一か町になるのである。
浜松市史 三
(河合楽器)
河合楽器 【河合小市】また技師長として山葉寅楠を援け、日本楽器株式会社の発展に尽してきた河合小市(浜松
上新町
明治十九年一月生
浜松市史 三
(堀留運河の衰退)
【船溜の位置変更】三十九年鉄道工場の設置が定まると(後述、第三章第一節第二項)、船溜(
上新町
改め菅原町
浜松市史 三
(神社の統合)
松尾神社】須倍神社は村内の六十九社を、賀茂神社(東伊場)は十社を合わせ、また松尾神社には天神社(七軒町と
上新町
浜松市史 一
(火災)
一、
上新町
七軒町火事、元禄七甲戌年(一六九四)十一月二十九日朝、火元は七軒町より出申候、此節両町不残類火仕候
浜松市史 三
(寺島村 和地山)
浜松成子町 板屋町 93 310 3 3 0 成子坂町 浜松菅原町 七軒町 117 428 6 3
上新町
浜松市史 ニ
(城下のにぎわい)
寒さは昨日に劣らず、七軒町・
上新町
などいふ市を過ぎて鳥井縄手をこえ若林村に入る。
浜松市史 三
(連合制の発達 浜松宿二十六か町村連合会 地方自治制の出発 浜松宿議会)
(下垂町) 熊野俊治 酒井吉重 (旅籠町) 大庭作平 武田勘平 (寺島村) 樋口林治郎 伊東宗作 (
上新町
浜松市史 ニ
(改革の一環)
内願書(『浜松市史史料編三』)によると、「
上新町
(当市菅原町)浦より舞坂宿迄通船之儀」は文久三年(一八六三
浜松市史 ニ
(各町の夫役)
ただし七軒町・
上新町
は勅額通行のときはじめて助人足を出したことがある。 ,城内家中屋敷火事火元石川監物宅 〃 6.9.11 板屋町火事4軒焼失 〃 7.11.29
上新町
七軒町全焼
浜松市史 三
(大きな町)
16 1 5 1 69 8 七軒町 2 51 53 2 2 11 35 4 1 51 9
上新町
浜松市史 ニ
(東海道往還通)
火 茶 西71 8 七軒町● 75 11 6 3 1 北97 3 有 火 南114 9
上新町
浜松市史 三
(中心街板屋町 問屋街の形成)
七軒町 53 0 2 1 2 1 6 6 11.3
上新町
浜松市史 ニ
(水野氏浜松入)
一方には水野家の家臣は文化十五年(文政元年)三月から三、四回に分かれてぼつぼつと浜松へ到着、
上新町
(かみしんまち
浜松市史 ニ
(巡礼)
「七軒町・
上新町
(いずれも当市菅原町)同行男女十六人」とあって、享保八年(一七二三)八月の日付がある(
浜松市史 三
(山葉寅楠)
これには少年工河合小市(明治十九年一月浜松
上新町
生、昭和三十年十月没、七十歳)のアクション完成が大きな
浜松市史 ニ
(町の意義)
『遠州浜松各町書上』に、「往還通り西端の七軒町・
上新町
は古来近村の伊場村・東鴨江村・浅田村の百姓の「名敷地
浜松市史 ニ
(町民の生活)
)の「浜松宿質屋仲間定」によると、当時二十一軒(成子坂町三、本魚町一、旅籠町一、伝馬町一、連尺町一、
上新町
一
浜松市史 ニ
(領主の保護)
上新町
浜松市史 三
(学区制)
673 浜松旅籠町 仝塩町 仝平田町 平田村 権田和三郎 6番 640 浜松成子坂町 仝七軒町 仝
上新町
浜松市史 三
(写真・図版目次)
四二 井上延陵 六〇 明治二十四年堀留運河図(
上新町
時代
解説「浜松城絵図と城下絵図」
(解説「浜松城絵図と城下絵図」)
馬込橋より東は「馬込往還」「東往還並松」、
上新町
付近は「西往還」と記される。,と他領との境も「馬込木戸外より東御領分境迄 間数弐千五百八拾三間五尺、丁ニシテ壱里七丁三間五尺」、「
上新町
板橋,ヨリ西御領分境迄 間数弐千弐百六十二間三尺、丁ニシテ壱里壱丁四拾二間三尺 内九拾三間
上新町
之内也」と記載,浜松宿の東部(東番所~庚申堂~南能庵)では瓦葺きと茅葺きが混在し、西番所の先、
上新町
付近では、ほとんどは
学びの里祈りの丘:わが町文化誌
(浜松市立県居公民館『学びの里祈りの丘:わが町文化誌』 目次)
忍冬酒 浜納豆 尋常小学校准教員養成所 白王児童図書館 スカウト】 287 【菅原町の由来 七軒町
上新町
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