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浜松市史 ニ
(下垂)
下垂
下垂
口(しもだれ)(霜垂口) 瓦門の北で、古城の南より
下垂
町(現在尾張町)へ出る。 /
下垂
浜松市史 ニ
(職人町と屋敷)
このうち神明町には職人頭の家が三軒、紺屋町と大工町には二軒あり、家数からいうと大工町・紺屋町・鍛冶町・
下垂
町,本役 2 四本松村 10 板屋町 1 大工町 1 伝馬町 1 畳屋頭 1
下垂
町,1 早馬町 1 平田町 1 有下村 1 水役 4 田町 1 無役 24
下垂
町,1 平田町 1 大工町 1
下垂
町 1 四本松村 17 鍛冶頭 1 素人役 61,2 馬生村 1 塗師頭 1 本役 21
下垂
町 7 大工町 6
浜松市史 三
(馬込川新川出水)
浸水区域 浸水戸数 風害 30.9.8~9 最低気圧 962.5mb 新川 田 板屋 早馬 常磐 池
下垂
,元城 (元目) 990戸 日降水量 222mm 31.9.5~7 最低気圧 958.7mb 新川
下垂
,70戸 小破 160戸 43.8.7~10 日降水量 344mm 馬込川 新川 馬込 新 板屋 田
下垂
,床下浸水1238戸 44.8.4~5 日降水量 300mm 馬込川 新川 馬込 新 板屋 田
下垂
浜松市史 ニ
(真宗)
芳蘚寺(
下垂
町、現在池町)もとは天台宗だったという。,
下垂
に道場を開いたのは元亀三年で、芳蘚寺を称したのは慶長八年という。松林寺(名残)もと天台宗という。
浜松市史 ニ
(武家屋敷の人口)
人名 郡奉行 白山下 馬杉新兵衛 人馬割掛 清水 飯田又右衛門 早馬 桜井久右衛門 同所 小池曾平
下垂
,飯島五左衛門 船蔵 森斧蔵 北高町 浅村太兵衛 道方奉行 名残 平野林五右衛門 代官 後道 清水助次郎
下垂
,篠原藤八 元木 久保田銀吾 百軒長屋 軽部左一郎 船蔵 竹山藤三郎 山方奉行掛 清水 鈴木藤四郎
下垂
,郡勘定 後道 林邑太 文木 和田勝次 早馬 岡山勝三郎 後道 石井俊助 後道 松下伝兵衛 郡同心
下垂
浜松市史 ニ
(浜松宿内と周辺の私塾寺子屋)
後道 佐山流 6.70人 大山万助 清水 不明 〃 柏井房之丞 元城 〃 4.50人 三浦勇次郎
下垂
,長尾流 〃 増井銀平 名残 不明 〃 飯島新三郎
下垂
〃 5.60人 渥美啓次郎 作左山 駿水流,4.50人 早乙女又吉 高町 不明 〃 塾主 住所 流 塾生概数 瀬川屋清助
下垂
佐山流・御家流
浜松市史 ニ
(戸口の増減)
大工町・紺屋町が加わり七か町となり、また五十軒未満が旅籠町・塩町・成子坂町・七軒町・神明町・早馬町・
下垂
町,また、二十五軒以上の増加は、御役六町では塩町があるばかりでその他は七軒町・板屋町・新町・早馬町・
下垂
町
浜松市史 三
(印刷師)
印刷師 印刷師 浅川行篤(士族、浜松池町)・山下忠順(士族、浜松
下垂
町)があった(「松坂春英雑記」『
浜松市史 三
([浜松時代])
大正末期から昭和初期へかけて彗星のように文壇に現われた女流作家に鷹野つぎ(明治二十三年八月浜松町大字
下垂
生
浜松市史 ニ
(【桶師】)
桶師頭神明町源六の先祖がうけていたことから「除地屋敷 一軒、配下屋敷 神明町二軒・紺屋町三軒・早馬町一軒・
下垂
町六軒
浜松市史 三
(新川出水)
新川出水 【三十一年】三十一年九月は、六日風害が甚しく、新川は出水し田・板屋・常盤・早馬・池・
下垂
に
浜松市史 三
(立憲帝政党 自由党 改進党 浜松政界の基盤)
・木村安次郎(元魚町)・金原吉十郎(鍛冶町)・田中五郎七(田町)・市川庄次郎(板屋町)・山田和三郎(
下垂
町,士族 山崎金重】その中心勢力は山崎金重(城内)・岡田安貞(後道)・伊藤脩忠(名残士族町)・加瀬頼正(
下垂
町
浜松市史 ニ
(開帳)
また七軒町普大寺不動尊では享保九年、
下垂
町明光寺は享保十三年(『旅籠町平右衛門記録』)、寺嶋村大聖寺は,紺屋町 心造寺 阿弥陀如来 本魚 蓮光院 阿弥陀如来 肴町 大安寺 薬師如来 沢 大仙寺 文殊菩薩
下垂
浜松市史 三
(左官職)
左官職 【松浦伊吉】左官職 松浦伊吉(天保十五年浜松
下垂
生、明治四十年没、六十四歳)。
浜松市史 ニ
(横町)
ともいう)・北小路、利町に五社大門通・諏訪大門通、紺屋町に袋(ふくろ)小路(袋町ともいう)、その他早馬町・
下垂
町
浜松市史 ニ
(町役人)
成子坂 2 1 七軒 1 2 上新 1 2 神明 1 2 板屋 1 2 新 1 2 早馬 1 1
下垂
浜松市史 三
(撚糸)
大正元年に合資会社田橋商店が浜松市常盤町に開業、製造場は同市
下垂
に設置、大正七年海老塚に移った。
浜松市史 ニ
(町幅)
三間は旅籠町・田町・七軒町・上新町・
下垂
町、三間未満は肴町・成子坂町・早馬町・鍛冶町・平田町・本魚町・
浜松市史 ニ
(曹洞宗)
真道山大聖寺誌』)・大安寺(肴町)・宗安寺(高町、菩提寺の西、城主太田氏・青山氏の菩提寺という、廃寺)・昌安寺(
下垂
町
浜松市史 ニ
(禅統)
禅統 十二代禅統は浜松
下垂
町(当市尾張町)元目甚七の三男、幼時から書画に秀で天童と称せられた。
浜松市史 三
(浜松の学区)
このとき支枝は新町・
下垂
町・成子町等に設けられたというが定かでなく、本校となったのが一番の浜松最初の小学校
浜松市史 ニ
(外濠)
【東外濠】東外濠は瓦門口・
下垂
口によって三か所に分断され、南側は幅六間・長さ六十一間(絵図によって若干
浜松市史 ニ
(町名の変化)
おそらく尾張町は
下垂
町に榎町は紺屋町に、宝暦九年以前において合併されたのであろう。
浜松市史 ニ
(町屋)
下垂
町(しもだれちょう)・平田町(なめだちょう)・清水町(しみずまち)
下垂
町は水のしたたれであろうし
浜松市史 ニ
(各町の夫役)
【馬込橋役】馬込橋役 御役六町と成子坂・神明・板屋・新・早馬・
下垂
・池・鍛冶・本魚・利(とぎ)・紺屋・,【茶壺助役】茶壺通行助人足役 成子坂・神明・板屋・新・早馬・
下垂
・池・鍛冶・本魚・利・紺屋・名残の十二町,【助人足役】急通行輻湊助人足役 成子坂・神明・板屋・新・早馬・
下垂
・池・鍛冶・平田・本魚・紺屋の十一町,#160; 二の丸会所火事 延宝 8.10.25 (1680) 天神町火事 貞享 3.2 (1686)
下垂
町年行事屋敷火事
浜松市史 三
(浜松人の協力)
近藤弥市・中島登・三方原士族正木八十郎等)が多く、学校創立後も秋葉・平田・池・大工・早馬・新・板屋・
下垂
浜松市史 三
(馬込川新川出水)
ミリメートルに達し、馬込川・新川が氾濫し、いわゆる「下町(したまち)」方面全域(馬込・新・板屋・田・
下垂
浜松市史 三
(大きな町)
大きな町 百戸以上の町人町には伝馬町・田町・肴町・板屋町・新町・紺屋町があったが、この時代になると
下垂
町,23 1 114 13 早馬町 1 48 49 1 1 8 8 6 2 24 48 14
下垂
町
浜松市史 ニ
(作左曲輪)
城には南に大手口(おおてぐち)・榎門口(えのきもんぐち)、東に瓦門口(かわらもんぐち)・
下垂
口(しもだれぐち
浜松市史 三
(浜松医学校新設)
中川澪忠・富田玄仙(浜松塩町)・木村質文(浜松
下垂
町)・宮下歓哉・久野貞三(浜松伝馬町)・宮崎保之・渡辺謹弥
浜松市史 三
(浜松の仮戸長と管轄地)
・平田町・平田村 一市川吉平 七百四十九軒 田町・肴町・後道新地・鍛冶町・板屋町・新町・早馬町・
下垂
町
浜松市史 ニ
(町の景観)
田町・池町・
下垂
町(しもだれちょう)や平田町(なめだちょう)の名は、このような低地に発達した町の沿革を
浜松市史 三
(魁新誌 浜松活天地)
浜松活天地 月刊雑誌では明治十六年『魁(さきがけ)新誌』(社主平野宇平治、編集小野仲一郎)が浜松
下垂
浜松市史 三
(活版印刷)
志学抄経』(嘉永二年版)を印刻した山崎十左衛門、明治の初期に旅籠町開明堂鞍智逸平、池町士族浅川行篤、
下垂
町士族山下忠順
浜松市史 ニ
(無役町の人足割)
紺屋町 12 下新町 20 成子坂町 4 利町 6 名残町 8 鍛冶町 9 池町 4 神明町 6
下垂
町
浜松市史 三
(各町消防組 連合消防組)
同年十月に新町・田町・肴町・連尺町・伝馬町・塩町・成子町・七軒町上新町・紺屋町・利町・大工町・元魚町・
下垂
町
浜松市史 ニ
(水の手)
【新川】なお外濠の水は二つの細流となって、一つは
下垂
町・池町・田町(いずれも低湿地)方面へ、他は神明町
浜松市史 ニ
(家臣団の配置)
北築地跡には鵜殿兵庫頭(本興寺過去帳に日治休庵は鵜殿兵庫頭長範父とある『本興寺誌』)、松下加兵衛之綱は
下垂
浜松市史 三
(第四回 市議員選)
【小選挙区制】小選挙区は左のとおりで、第一区 定員四名(田・池・
下垂
・神明・連尺・紺屋・利・栄・大工・
浜松市史 ニ
(鴨江彼岸会)
名残 猩々の山車 10 下新 天狗 11 神明 おやま人形山車 12 成子坂 張良のくつおとし 13
下垂
浜松市史 三
(横町通)
【池町 利町】しかし同じ横町でも池町や
下垂
町は職人町で、傘屋(二〇戸)左官(九戸)桶屋(八戸)や古着屋
浜松市史 ニ
(魚専売権の紛争)
一)にいたるあいだに、和地・笠井・向宿・天神町・植松・福嶋・永田の各村および浜松宿内の成子坂・板屋・
下垂
浜松市史 三
(浜松三戸長役場)
戸長久保田轍 【浜松東部】田町外六ケ町村戸長役場 浜松田町 浜松板屋町 浜松新町 浜松池町 浜松
下垂
町
浜松市史 三
(寺島村 和地山)
597 9 1 6 浜松新町 143 549 5 8 1 浜松早馬町 52 193 1 4 1 浜松
下垂
町
浜松市史 三
(連合制の発達 浜松宿二十六か町村連合会 地方自治制の出発 浜松宿議会)
神明町) 武田勘平 本田五十司 (名残町) ●山崎金重 松下安平 (紺屋町) ●岡田安貞 山田和三郎 (
下垂
町
浜松市史 ニ
(禅宗)
薬師 富屋敷 下中嶋 下前嶋 笹ケ瀬(末寺26寺) 西来院● 高町 早出 上嶋細嶋 天林寺● 肴町
下垂
町
浜松市史 三
(リズム社)
【音楽会】このほかにリズム社はレコードコンサート(大正十二年二月、
下垂
二葉会館)を開いたり、市内各小学校
浜松市史 ニ
(領主の保護)
#160; 2
下垂
町,宝暦年間の紺屋役の町別は明らかではないが、文政元年紺屋町に頭屋数1、役屋数23、
下垂
町に役屋数2軒あった
浜松市史 ニ
(町検地と町絵図)
#160; 10か町 545 20町 42間 裏町通 池 22 2 10
下垂
浜松市史 三
(大字制度 新町名)
しかし新しくできた町名もあるが、尾張町(おわりちょう)(大字
下垂
の改称)・千歳町(ちとせちょう)(大字後道,元目町 げんもくちょう 新設 (元目) 元城・下池川の各一部 北田町 きたたまち 〃 田・元城・
下垂
,・早馬の各一部 池町 いけまち 町をつける 池 元城の一部 尾張町 おわりちょう 改称
下垂
田・
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