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浜松市史 五
(下水道)
下水道
【ポンプ場 終末処理場】 昭和三十五年(一九六〇)一月海老塚町地内で
下水道
建設が開始された,水浸しになっている地域には、人工的な排水施設としての
下水道
が必要であった。,
下水道
の終末処理場は瓜内町に設置され、昭和三十七年八月に生し尿の処理を開始した。,雨水を川へ放水、汚水だけを瓜内町の
下水道
終末処理場へ送って処理する仕組みであった。 ,また、同四十一年十月元浜排水区から瓜内終末処理場までの
下水道
本管がつながり、同年十一月十五日に
下水道
事業 /
下水道
浜松市史 五
(下水道事業)
下水道
事業 【中部処理区】 浜松市の
下水道
のうち、昭和三十四年に市の事業として始まったのは、東は,中部処理区と呼ばれ、栗原市政下の昭和五十六年十二月までに計画面積の五十二%の整備が終わり、約十一万人の市民が
下水道
,また、住宅団地が開発された所と舘山寺温泉の旅館街と町並みが続くところなどは個別に
下水道
(各処理区)を整備,富塚町の弥生団地や五島地区の遠州浜団地では団地が造られた時に
下水道
がつくられ、昭和四十二年にこれらの
下水道
,瞳ケ丘団地や湖東団地でも
下水道
は完備し、瞳ケ丘は昭和五十三年に市に移管、湖東は昭和五十七年に、舘山寺浄化 /
下水道
事業
浜松市史 五
([下水道事業の開始])
[
下水道
事業の開始] 【
下水道
下水道
通水】 岩崎市政下の昭和二十七年(一九五二)一月に福地町自治会,に
下水道
を設置すべく準備を始めた。,そして、昭和三十四年三月十二日に
下水道
の第一期工事が建設省から認可された。,浜松市始まって以来初めての
下水道
が通水を開始した。,これ以降も第二期、第三期と
下水道
事業の建設が続いた。 図2-5 第一期
下水道
図 / [
下水道
事業の開始]
浜松市史 五
(西遠流域下水道計画事業)
西遠流域
下水道
計画事業 【西遠処理区 西遠浄化センター】 一方、馬込川以東から天竜川までと中部処理区,の周辺地域は静岡県が進める西遠流域
下水道
計画事業として行われることとなり、浜松市、浜北市、天竜市、雄踏町,ここは西遠処理区と呼ばれ、昭和五十五年から江東地区の一部と中田島団地で(特定環境保全公共
下水道
事業としての,県の事業とはいっても県は西遠流域
下水道
の馬込や浜名・佐鳴・雄踏の各幹線や西遠浄化センター(終末処理場),図3-6
下水道
整備計画図 / 西遠流域
下水道
計画事業
浜松市史 五
([下水道と上水道の普及])
[
下水道
と上水道の普及] 【
下水道
】 浜松市では昭和三十四年から
下水道
事業が始まり、平成五年までに,『広報はままつ』平成五年十一月二十日号には「〝文化のバロメーター〟とも言われる
下水道
。,また、市民の皆さんからの市政への要望の中でも、
下水道
の整備は、毎年高い順位に入っています。」,ただ、平成四年度末で、
下水道
を利用できる地域にもかかわらず約十五%の人が利用していなかった。,に
下水道
に接続するように定めていた。 / [
下水道
と上水道の普及]
浜松市史 五
([環境衛生])
[環境衛生] 【環境衛生】 環境衛生に関しては浜松市の人口増加と市域の拡大に伴い、他方、
下水道
の,『新編史料編六』では昭和三十七年七月五日発行の『広報はままつ』で瓜内町に建設中の
下水道
終末処理場が操業開始,昭和四十八年一月二十日発行の『広報はままつ』'73・冬 総合版では、公共
下水道
区域内においては,昭和五十一年十二月十七日付の『静岡新聞』記事では浜松市の
下水道
普及率わずか十八%という数字をあげ、家庭
浜松市史 五
([清掃公社の発足とし尿処理の近代化])
当時、各家庭から汲み取ったし尿は瓜内町に昭和三十七年八月完成の
下水道
中部終末処理場へ運んで処理していた,しかし、昭和四十一年(一九六六)十月に
下水道
の一部が通水を開始、この処理場は本来下水処理を優先的に行うためのものであったため
浜松市史 五
(佐鳴湖の浄化)
佐鳴湖の浄化 【佐鳴湖の佐鳴湖のクリーン作戦 佐鳴湖の水質】 佐鳴湖の浄化対策としてこれまで周辺の
下水道
整備,一方、浜松市が進める
下水道
は平成二年三月までに面的整備が七十三%となり、平成七年にはこの地域の
下水道
は,うことが決まったものの、平成六年度末までに目標の五十万トンに対し、半分以下の二十二万トンに過ぎず、流域の
下水道
,浜松市はこれを受けて、引き続き
下水道
の整備を進めるとともに、地下水涵養のための雨水浸透設備の設置、農地
舞阪町史 下巻
(舞阪町史 下巻 目次)
ゴミ埋立地・焼却場建設問題 ゴミの収集・処分方法と減量作戦 し尿処理法の模索 火葬場 第二節
下水道
事業,830
下水道
雨水等の排水路 舞阪町流域関連公共
下水道
第三節 西遠流域
下水道
終末処理場建設問題
浜松市史 四
(緊急戦災復興対策懇談会)
次に馬込川上流より分水して市内を貫流する清掃用水路(小船による輸送が出来れば理想)の建設、
下水道
の敷設,この計画案に示された医専の新設、運河計画の確立、
下水道
の整備、公園・緑地の設置、道路網の整備等は先見性
浜松市史 五
([都市型水害の予防と対策])
市では、こうした都市型水害による浸水被害の解消を重点課題として、それぞれの地域で都市下水路の整備、
下水道
,【浜松型簡易雨水浸透井 ノンブーツ作戦】 北地区や駅南地区は
下水道
が布設されていたが、当初見込んだ
浜松市史 五
([高度経済成長期の予算])
道路の改良や舗装、
下水道
施設の建設、市民会館の建設、小中学校の建設整備などに使われたことが分かる。,馬込川河口の整備 土地改良事業の推進 PTA負担の軽減 児童会館の建設 川や悪水路の改修
下水道
施設
浜松市史 五
(水質汚濁)
、宅地開発が行われていた市内の上流部で汚染がひどく、今まで汚れが目立っていた下流部は工場排水の規制や
下水道
,また、浜松市は昭和六十年度から五カ年計画でこの地区に
下水道
が本格的に整備されるまでの間、隣の処理区に暫定的
浜松市史 五
([市長と語る会])
地区の住民との会では道路や上
下水道
、公園の整備など、地域の抱える問題について多くの要望が出されることが
浜松市史 五
([高丘葵土地区画整理事業])
浜松市はここに各種の都市問題が起きないよう、道路・公園・上
下水道
の公共施設を合理的に配置し、用途地域(
浜松市史 五
(第三次浜松市総合計画)
うるおいのある都市空間の創造 安定的な生活用水の確保 水質環境の改善と
下水道
普及率
浜松市史 五
([可美村の合併])
これ以降、当局は家庭や旅館、工場に浄化槽の設置を呼び掛け、さらに根本的な解決のため、公共
下水道
の建設に,問題はこれだけではなく、
下水道
や工業用水、道路など、小さな町村だけで解決できない事柄が山積するようになった
潮かおる浜の里:わが町文化誌
(浜松市立新津公民館『潮かおる浜の里:わが町文化誌』 目次)
されたくらし 120 (一)便利なくらし 120 (二)余暇と娯楽 122 (三)上
下水道
浜松市史 五
([大規模な団地と分譲マンション])
しかも、電気・上
下水道
・ガス・汚水処理場・電話中継所等の諸施設が完備する当時県下一のマンモス団地であった
袖紫ケ森:わがまち文化誌
(浜松市立蒲公民館『袖紫ケ森:わが町文化誌』 目次)
124 農業の移り変わり 126 織物と工業 129 生活用水の移り変わり 130 こやしから
下水道
浜松市史 五
(公害問題)
馬込川水域の汚濁は各業種の工場排水と都市下水によってもたらされているため、
下水道
の整備と工場排水の排出規制
浜松市史 五
(浜名湖の水質浄化)
周辺市町村の
下水道
整備が進まない中、環境問題に熱心な人たちは合成洗剤をやめて石けんにしたり、天ぷら油の
浜松市史 五
([西部衛生工場の建設とその反対運動])
これまでし尿処理は、東部衛生工場と中部浄化センターで処理されてきたが、中部浄化センターは本来公共
下水道
処理施設
浜松市史 五
(目次)
清掃公社の発足とし尿処理の近代化 ごみ収集方法の切り替えと焼却場 第四項 上
下水道
,の建設と拡充 二六
下水道
事業の開始 三方原用水導入,対策 四三六 大気汚染 水質汚濁 第四項
下水道
事業,と清掃事業 四三九
下水道
事業 ごみ処理施設,んになった国際交流 第六項 環境衛生と資源の再利用 八八五
下水道
浜松市史 四
(土地利用計画)
602,470 557,570 出典:『浜松市戦災復興誌』より作成 6 その他 以上のほか、上水道・
下水道
計画
台地と水と輝き:わが町文化誌
(浜松市立高台公民館『台地と水と輝き:わが町文化誌』 目次)
)水・光熱 104 【水 つるべ井戸 井戸堀り 井戸替え 水汲み ポンプ】 104 【上水道・
下水道
浜松市史 五
(図・表一覧)
434号 昭和47年7月5日発行、第10回住居表示『新旧・旧新対照表』昭和47年8月 2-5 第一期
下水道
図,日付 3-5 全国第二位の汚染された湖となった佐鳴湖 『静岡新聞』昭和59年12月7日付 3-6
下水道
整備計画図,広報はままつ』第1147号 平成15年6月20日発行 4-11 浜松市上水道の水源と供給先 浜松市上
下水道
部
浜松市史 五
([現代総説(下)])
工場誘致、都市計画街路の決定、教育施設の充実、総合福祉政策の施行、住居表示の実施、清掃行政の近代化、上
下水道
,そして、
下水道
と衛生工場の建設・ゴミ10%減量運動など清掃事業の推進、さらに美しい都市景観の育成にも力
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌
(浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)
全国産業博覧会 花柳界 検番 椿姫塚 御台塚】 382 二十一 下池川町 【NHK浜松放送局 幹線
下水道
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