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浜松市史 三
(中ノ町線)
中ノ町
線 ②
中ノ町
線 浜名郡天神町村馬込と同郡
中ノ町
村萱場間を結ぶ五・二キロメートルで軌幅二フィート,六インチ、明治四十二年三月三日開通、
中ノ町
線と称した。,そして馬込川に鉄橋がかかり四十三年には次頁の表のように板屋町と馬込の両駅間も結ばれ、これによって鹿島線と
中ノ
,
町
線は完全開通となった。 ,
中ノ町
線試乗の案内状
中ノ町
線馬込川鉄橋 /
中ノ町
線
浜松市史 三
(中ノ町線笠井線の廃止)
中ノ町
線笠井線の廃止 しかし自動車の発達により
中ノ町
線・宮口線・笠井線は廃止となった。 ,なかでも東海道の路面を利用して敷設された
中ノ町
線は沿線の住民より危険視されたばかりでなく、煤煙は非衛生視,されて、しばしば廃止運動が起きたので、大正十四年に
中ノ町
線とかねてから経営不振の笠井線とを鹿島線より分離,し、浜松軌道株式会社(社長金原明徳、昭和二年一月浜松・
中ノ町
間の電化を目的とし浜松電気鉄道株式会社と改称,そして昭和二年末から休業していた
中ノ町
線も四年六月には軌道自動車による再運転を開始した。 /
中ノ町
線笠井線の廃止
浜松市史 四
([笠井町・中ノ町村・和田村各警察署の設置と廃止])
[笠井町・
中ノ町
村・和田村各警察署の設置と廃止] 【笠井町警察署
中ノ町
村警察署 和田村警察署 自治体警察,の問題】 新制度の導入により自治体警察として浜松市警察署以外に笠井町・
中ノ町
村・和田村の三町村に三,三つの町村(笠井町・
中ノ町
村・和田村)の自治体警察はこの時点では存続したが、日本全体でも多くの町村が廃止,配置定員(昭和23年2月4日) 警察別\区分 警部補 巡査部長 巡査 計 笠井町警察署 1 2 6 9
中ノ
,
町
村警察署 1 2 4 7 和田村警察署 1 2 4 7出典:『静岡県警察史』下巻より作成 / [笠井町・
中ノ町
村・和田村各警察署の設置と廃止]
浜松市史 三
(その他の路線)
【黄バス
中ノ町
】この他に「黄バス」と呼ばれて浜松・
中ノ町
間を往復する遠州乗合自動車株式会社(昭和十一年創立,浜松電気鉄道株式会社の
中ノ町
線(前述)を昭和十二年四月合併して得た路線であった。,なおこの頃天竜川駅と
中ノ町
間を結ぶ路線もできた。
天竜川と東海道:わがまち文化誌
(浜松市立天竜公民館『天竜川と東海道:わが町文化誌』 目次)
町名の由来 北島町のうつりかわり 村と堤 4 近代の村のうごき 36 和田村役場のうつりかわり
中ノ
, 浜松市東北部土地改良区 和田土地改良区
中ノ町
第一土地改良区
中ノ町
第二土地改良区
中ノ町
第三土地改良区,
町
幼稚園と
中ノ町
保育園 2 郷土の歴史に残る人々 271 安間了願 小枝粂次郎 金原明善 大𣘺,;島太郎 石山脩平 高栁健次郎 杉浦睦夫 3 公民館とさまざまな公共施設 286
中ノ町
公民館・,和田公民館を吸収した天竜公民館 さまざまな公共施設 4 和田・
中ノ町
地区の神社・仏閣 291 資料提供
浜松市史 三
(遠州軌道株式会社 遠州電気鉄道株式会社)
開通区間 距離 開通年月日 馬込―
中ノ町
5.2km 明治42. 3. 3 馬込―南新町 0.5 〃 ,. 6 板屋町―鹿島 17.7 〃 42.12. 6 板屋町―南新町 0.5 〃 43. 3.18
中ノ
,
町
村地内延長 0.6 〃 43. 3.18 (『日本の軽便鉄道』) 明治45年の
中ノ町
線・鹿島線
浜松市史 四
([浜松市警察署の改革])
は昭和二十六年(一九五一)に新津村・五島村・河輪村を合併、同二十九年三月には笠井町、長上村・和田村・
中ノ
,
町
村を合併した。,合併町村のうち笠井町・和田村・
中ノ町
村は以前は自治体警察署を持ち、そのほかは国家地方警察の東浜名地区警察署,三月末日に合併する笠井町、長上村・
中ノ町
村・和田村は浜松市東警察署の管轄に入ることになった。
浜松市史 五
([主要道路の建設と道路整備])
平成三年三月に国道二五七バイパス浜松環状線と国道二五七号が交差する三方原町交差点から東へ同バイパスと後述する
中ノ
,【
中ノ町
都田線(テクノロード)】 テクノポリス都田開発区の造成に合わせて昭和六十三年から整備を進めていた,都市計画道路
中ノ町
都田線の浜松市街地と同開発区を結ぶ区間(約六・一キロメートル)のうち、浜松環状線の赤松坂交差点,都田開発区内の道路のうち、
中ノ町
都田線や横尾線、横尾川山線など延長三十一・一キロメートルの道路が全て完成,【国道二五七号バイパス】 都計
中ノ町
都田線のうち浜松環状線交差点(赤松坂交差点)から県道磐田細江線交差点
浜松市史 四
([公立私立の保育園の増設])
浜松児童福祉園(和地山町) 和光保育園(和地村) 瑞雲保育所(佐藤町) 28 鴨江保育園(鴨江町)
中ノ
,
町
保育園(
中ノ町
村) 新津保育所(新橋町) 神田原保育園(神久呂村) 29 吉野保育園(吉野村)
浜松市史 五
([公民館の設置と利用者の急増])
浜名郡村櫛村には昭和二十七年、
中ノ町
村には同二十八年、引佐郡都田村には同二十九年に全国に誇り得る素晴らしい
浜松市史 三
(新県道)
新県道 こうして大正十五年十一月には新県道として浜松・舘山寺線、
中ノ町
・市野線、市野・気賀線、笠井・
浜松市史 三
(浜名郡被災状況)
三方原村が被害が最も大きく、軍需工場のあった市周辺の可美・長上の各村及び天竜川鉄橋や高射砲陣地などがあった
中ノ
,
町
・和田・飯田の各村などがこれに続いている。
浜松市史 四
([公民館の活動])
[公民館の活動] 【公民館
中ノ町
公民館 庄内中央公民館】 多くの市町村では戦災学校の復興や新制中学校,浜名郡
中ノ町
村では昭和二十二年以来、消防団・青年団・婦人会が公民館の建設を村当局に要望、ついに村民八百名,この新装なった
中ノ町
公民館で、昭和二十九年一月二十一日に静岡県公民館大会が開催された。
浜松市史 ニ
(主要寺院)
大宝寺 源長院 学薗寺 花学院 竜秀院 大応寺 竜泉寺(雲岩寺) 臨済宗 大通院 洞雲寺 松林寺(
中ノ
,
町
村) 安寧寺 竜雲寺(木宮亮邦『竜雲寺史談』) 甘露寺 西隠寺 大伝寺 宝珠寺 普賢院
浜松市史 三
(郡制施行)
引佐郡に入れ、その余の区域内二十四か町村と、浜名郡を廃し、その区域内の町と③豊田郡に属していた豊西村・
中ノ
,
町
村・赤佐村・中瀬村・龍池村(以上五か村)とを以って④浜名郡が置かれた。
浜松市史 三
(浜松郷土読本)
【蒲郷土読本】つづいて翌八年には『
中ノ町
郷土読本』、十四年には大貫三蔵による『蒲郷土読本草案』が発行されている
浜松市史 三
(開墾願提出)
第一大区四小区長上郡安間村)、同農大谷弥平(第一大区二十三小区引佐郡井伊谷村)、同農村越亀太郎(第二大区二十三小区豊田郡
中ノ
,
町
村)の七名の賛助を得て、計十名の連署をもって開墾願を浜松県に願い出たのは、明治六年の秋であった。
浜松市史 四
([町村合併の推進])
十五カ町村とは芳川・飯田・和田・長上・三方原・可美・入野・吉野・和地・神久呂・
中ノ町
・伊佐見・篠原・舞阪, △可美村 入野村 神久呂村 吉野村 三方原村 長上村
中ノ町
村 和田村 飯田村 芳川村, 【和田村・長上村・笠井町・
中ノ町
村・浜松市合併】 こうして昭和二十九年三月三十一日,に和田村・長上村・笠井町・
中ノ町
村の四カ町村が浜松市に合併、これにより浜松市の人口は二十二万一千名余となった,
町
支所長には旧
中ノ町
村助役をそれぞれ任命した。
浜松市史 三
(上水道 上水道規模)
【水源】①水源 浜名郡
中ノ町
村字白鳥、豊西村字常光地内で天竜川の伏流水を引用し、堤腹に築造した集水井に,【送水路】②送水路 集水井より高揚喞筒(ポンプ)を以て豊西村・
中ノ町
村・長上村・曳馬村等を経て浄水場まで
浜松市史 三
(浜松地方報徳社)
浜名郡龍池村 22 〃 四本松社 浜名郡芳川村 15 〃 立野社 浜名郡芳川村 15 43年4月 遠江
中ノ
,
町
村社 浜名郡
中ノ町
村 58 44年1月 下中島報徳社 浜名郡芳川村 11 44年1月 御給報徳社 浜名郡芳川村
浜松市史 五
([郵便番号導入と東郵便局の誕生])
このほか、入野局が四三二、三方原局が四三三、
中ノ町
局が四三五となった。
浜松市史 三
(治河協力社解散)
をもって実施の運びとなった(天竜川第二次改修工事は大正十二年より十か年の継続計画で実施され、昭和二年には
中ノ
,
町
に天竜川改修事務所ができた)。
浜松市史 四
([周辺町村の幼稚園])
和田幼稚園が和田小学校の三教室を借用して開園したのは昭和二十四年十月一日、また同年十二月一日には
中ノ町
幼稚園,が
中ノ町
小学校内に開園した。
浜松市史 五
([天竜川西縁水防組合の解散と浜松市水防団の誕生])
昭和三十五年浜松市自治水防団が結成され(『広報はままつ』昭和三十八年六月二十日号)、市内には八水防団(河輪・五島・
中ノ
,
町
・白脇・笠井・芳川・飯田・都田)が成立し、連合水防演習を行っていた(『静岡新聞』昭和三十七年七月十九日付,笠井・
中ノ町
・飯田・芳川・河輪の各分団は地区内の天竜川およびその支流、五島分団は地区内の天竜川・芳川・
浜松市史 ニ
(兄弟庵連)
酔春亭七十七翁 左光 春の山ふたたび踏てものおほへ 松しま 可道 桜咲日やそっと打時の鐘
中ノ
,
町
季竜 秋のかぜ浪音西にのこりけり 半場 北魚 鹿鳴や古郷遠き旅こころ 恒武 文明,1 国吉 1 伊場 2 西ノ郷 1 常光 2 馬郡 1 薬師 2 萱場 1 志都呂 1 下堀 1
中ノ
,
町
6 高林 1 上石田 1 松小池 1 宇布見 1 笠井新田 1 貴平 1 小計 25 下飯田 1
浜松市史 三
(明治八年小学校)
東大山・平松・白洲・堀江・和田・村櫛・大久保・山崎・神ヶ谷・志都呂・下都田・上郡田・滝沢・恒武・羽鳥・
中ノ
,
町
・老間などが増設されていた(浜松関係のみ)。
浜松市史 四
([教育委員の選挙])
十月五日に行われたが、盛り上がりに欠け、可美・篠原・村櫛・和地・伊佐見・神久呂・入野・積志・長上・和田・
中ノ
,
町
・飯田・芳川・都田の十四村は無投票当選となった。
浜松市史 三
(浜松近郊被害)
浜松近郊被害 浜松警察署の報告によると「被害大ナルハ浜松市・入野村・篠原村・芳川村・五島村・河輪村・
中ノ
,
町
村」とあり、「中島飛行機工場ノ被害又大ニシテ工場ノ約八割破壊セラレタリ、目下中部第七十九部隊兵員約三百名出張取片付中
浜松市史 三
(上水道候補地)
【白鳥】そして今度は浜名郡
中ノ町
村白鳥地先より天竜川の伏流水を取水することに変更した。
浜松市史 四
([浜松中央・東・北警察署の設置])
東署の管轄区域は馬込川より東の相生町・木戸町・佐藤町など、駅南の三島町・中田島町など、東部の
中ノ町
・笠井, 警部派出所 市内笠井 警部補派出所 市内
中ノ町
・橋羽 巡査部長派出所
浜松市史 ニ
(馬籠渡船の廃絶と船越村)
位置であるが明暦・万治のころまでは(道中記その他)、東は池田の下手(しもて)の長森(ながもり)と西は
中ノ
,
町
を結ぶ線であったが、その後、やや川かみにあがって、池田宿と子安森をつなぐ線に落ち着いた。
浜松市史 三
(織物工場分布)
小野口 1,377,466 積志 2,605,134 長上・曳馬 3,044,931 龍池・豊西・和田・
中ノ
,
町
1,812,970 蒲・河輪・芳川・五島・ 飯田・白脇 1,577,627 神久呂・可美・新津・
浜松市史 三
(七月の空襲 艦砲射撃)
七月九日は艦載機(かんさいき)が三方原飛行基地を、二十四日は早朝から艦載機約七十機が、高射砲隊(天竜川右岸
中ノ
,
町
方面に布陣)の弾幕を通りぬけて高塚駅・遠州織機・鈴木織機・日蓄工場等の軍需工場を、二十五日も戦闘機二機
浜松市史 四
([社会教育と公民館])
ただ、浜松市をはじめ、多くの町村では小・中学校の建設に追われて公民館の建設は遅れ、
中ノ町
村・都田村などの
浜松市史 三
(天竜川停車場)
しかし信州時俣まで舟の便はまだ行なわれていた(『
中ノ町
村誌』)。
浜松市史 三
(遠州紡績株式会社)
なお遠州地方の綿作は輸入綿の使用により衰微してしまう(『
中ノ町
村誌』によると大正二年実綿二〇反があるのみであった
浜松が生んだ名建築家中村與資平展
([明治35年])
当時は交通が不便であったので、鹿島の一行は舟で天竜川を
中ノ町
に下り、竹山邸で一息して、当方に来られたのである
浜松市史 五
([幼稚園])
浜松市立の幼稚園では
中ノ町
幼稚園が昭和三十二年から二年保育を開始、同三十四年には橋爪幼稚園がこれに続いた,比較的早い時期にプールが完成したのは昭和三十五年の
中ノ町
幼稚園と同三十六年の大久保・与進幼稚園、ただ、
浜松市史 四
([道路延長の急伸と街路計画の進展])
中沢和田線 中沢・和田 16 Ⅱ. 1. 3 鍛冶元浜線 鍛冶・元浜 20 Ⅰ. 1. 6 龍禅寺
中ノ
,
町
線 龍禅寺・中野町 36 Ⅱ. 1. 4 板屋蜆塚線 板屋・入野 20 Ⅰ. 1. 7 龍禅寺可美線,龍禅寺・可美 36 Ⅱ. 1. 5 中島三島線 中島・三島 20 Ⅰ. 3. 2 板屋
中ノ町
線 板屋
浜松市史 五
(教育機器)
の保有から、その数を増して城北小学校では昭和四十九年と五十年で全学級に固定式のスクリーンが設置され、
中ノ
,
町
小学校では昭和五十四年には全学級にOHPが入った。
浜松市史 ニ
(天竜材の需要)
掛塚湊は米の津出し、榑木の積出湊として特色があり、これは明治時代までつづいたが、東海道線の開通によって
中ノ
,
町
村に移りこの湊の機能は停止したのである。
浜松市史 五
(防音校舎)
幼稚園での防音工事は昭和四十六年度に
中ノ町
・和地の両幼稚園で行われたのが始まりで、この後多くの幼稚園でも
浜松市史 三
(創業年代)
小野口村 0 中瀬村 0 龍池村 0 豊西村 0
中ノ
,
町
村 1 2 3 曳馬村 1 1 1 4 4 11 三方原村 0 天神町村
浜松市史 五
([学童保育をめぐる市民の運動])
運動] 【留守家庭児童会 カギっ子】 留守家庭児童の増加に対して、市教委は昭和四十二年五月から
中ノ
,
町
と積志の二公民館に留守家庭児童会を設置、同四十五年からは相生と吉野小学校区にも留守家庭児童会を設置して,同年度は既存の積志、
中ノ町
、東部の三館を含め十館で展開された(『静岡新聞』昭和五十五年四月二十一日付)
浜松市史 三
(浜名用排水組合 金原治山治水財団 金原用排水組合)
このようないきさつのもとで同年十二月には浜松市ほか十六か町村(河輪・五島・芳川・飯田・和田・蒲・長上・積志・笠井・豊西・
中ノ
,
町
・白脇-以上現浜松市、北浜・小野口・赤佐・麁玉―以上現浜北市)は浜名用排水組合を結成したが、直ちにその
浜松市史 五
(公民館)
公民館 【公民館まつり】 昭和五十年当時、浜松市の公民館は合併前の村によって建てられた
中ノ町
・都田
浜松市史 五
([カギッ子と留守家庭児童会])
カギッ子率が二十%を超えたのは萩丘、富塚、鴨江、
中ノ町
、吉野の各小学校などで、新興住宅地が多かった(『
浜松市史 ニ
(巴静の来遊)
えぼしやま(宝暦八年) 紫のかけ楮は藤よ烏帽子山 浜松 沾峨 春風の裾をめくるやゑほし山
中の
,
町
麦声 雲の嶺風折かくすゑほし山 天王 竹島
浜松市史 三
(茶業組合 共同組合)
笠井町 1.0 北浜村 7.0 小野口村 10.0 赤佐村 23.0 中瀬村 0.5 豊西村 0.2
中ノ
,
町
村 0.3 曳馬村 28.0 三方原村 90.0 白脇村 1.1 可美村 0.5 新津村 0.1 篠原村
浜松市史 四
([引揚者と復員者への援護])
この船で帰国した浜松市出身者は三人、浜名郡では河輪・和地・伊佐見・可美・
中ノ町
の各村それぞれ一名であった
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