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浜松市史 三
(火葬場)
火葬場 従来私設で、下池川字天林寺山と福地字西方の二か所に分散していたが、大正十三年四月市内大字
中沢
,(
中沢
町)に片山式火葬竈という最新式の設備を以て設置され、従来のものは十四年六月限りで廃止された。
浜松市史 四
(浜松診療所)
浜松診療所 他方、紛らわしい名称であるが、市内
中沢
町に「浜松診療所」があったことが、『浜松市戦災史資料,この「浜松診療所」には、「
中沢
町に設置されて居り一六名の職員が勤務して居る。,信を置くならば、「戦災被害は軽微で診療に支障はない」ということから、「浜松診療所」は戦時中にはすでに
中沢
町,右の『浜松市医師会史』のコラム記事と合わせてみると、戦後の一時期、同じ
中沢
町内に短期間ながら戦時中以来,「浜松市綜合診療所」が
中沢
町で開設されたという、その町名にのみ疑問が持たれるのであって、その運営が一年
浜松市史 三
(浜松市営住宅)
これが市営住宅の最初で、十五年鴨江町二十四戸、佐藤町二十四戸、
中沢
町二十六戸、昭和三年上池川町に三十戸,と計百五十四戸が建設されたが、昭和二十年の戦災で
中沢
町・上池川町の五十六戸を残して焼失した。
浜松市史 五
(墓地)
墓地 【住吉墓園
中沢
墓園 三方原墓園】 市内の墓地には宗教法人の所有する墓地、公有・共同墓地、,浜松市の墓地は
中沢
墓園、住吉墓園、三方原墓園であるが、このうち、住吉墓園は旧陸軍墓地を修景地として保存,
中沢
墓園は大正十三年に火葬場の開設とともに開園したもので、戦後に戦災復興事業で寺院や墓地の移転が行われた,また、教興寺と齢松寺は墓地のほか、本堂や庫裏も
中沢
町に移転してきた。,寺院、墓地の移転を受けて
中沢
墓園は拡張されたが、中心部に近く便利であったので、昭和四十五年(一九七〇)
浜松市史 三
(曳馬町)
早出・細島新田・十軒新田・島之郷・高林・助信・新津・茄子一色・船越一色・野口・八幡・下池川・上池川・
中沢
,二六)・八幡(戸数一四、人口八四)・下池川(戸数六七、人口四〇二)・船越一色(戸数九三、人口五五八)・
中沢
浜松市史 五
([齢松寺の移転])
その後昭和三十八年に至って、まず齢松寺墓地を先記の「墓園計画」で造成された
中沢
町の市営墓園に移し、次いでその,二年後、換地や移転補償費をめぐる折衝を経て、市内
中沢
町の市営墓園に隣接する市営火葬場の東側の市有地に移転
浜松市史 ニ
(時宗)
時宗 時宗 教興寺(伝馬町、現在
中沢
町)開創は遊行僧教興。勘間道場と称した。
浜松市史 三
(コーツ師)
大正五年に来浜し、昭和五年までメソジスト派の伝導区主任として浜松に住んだ(昭和九年十月没、墓は浜松市
中沢
町市営墓地
浜松市史 三
(耕地整理)
(表)耕地整理組合 1 浜松北部耕地整理組合 ①大正11.6 ②野口・八幡・元浜・上池川・
中沢
③80,町歩 ④30万円 ⑤375人 ⑥3か年 5 浜松西北部耕地整理組合 ①大正14.10 ②上池川の一部・
中沢
浜松市史 五
([住居表示の実施])
市の住居表示実施計画によると第一次計画(昭和三十九~四十一年度)では浜松城を中心に、北は和地山、
中沢
、,市内二番目の住居表示は昭和四十年十一月一日に
中沢
町と下池川町で実施され、これまで日本楽器の敷地となっていた,助信町、八幡町、元浜町の一部が
中沢
町となった。,追分町は布橋一・二丁目、城北二・三丁目に、名残町は布橋一・二・三丁目、文丘町、城北三丁目となり、このほか
中沢
町
浜松市史 四
(病院・診療所の再開)
場所は
中沢
町で、医師は浜松市医師会からの派遣によるものという。,為に市設診療所の設置を計画し、医師会と協議折衝の結果
中沢
町三百四十八番地旧婦人作業所に舎屋を建設し、昭和二十年十月一日,小児科、産婦人科、耳鼻科、歯科等で調剤室も設け追つて神経科、性病科も増設する これによれば場所が
中沢
町
浜松市史 五
(橋)
【バイパス】 このため市では、①助信三方原線のうち
中沢
町─幸町間(二・五キロメートル、通称住吉バイパス,)を開通させ、恵那浜松線と飯田浜松線を結んで住吉町以北から中心部へ下る交通をこれへ移す、②下池川町─
中沢
町間,図2-39 助信三方原線伝馬西ケ崎線建設計画図 このうち下池川町─
中沢
町間は昭和三十九年度を初年度,また
中沢
町─幸町間は、県道路公社により昭和四十一年から工事が開始され、同四十四年春には浜松城北工業高校前
浜松市史 四
(化学工業)
東京セロファン紙株式会社は、その前身を日本ビスコースといい、昭和六年(一九三一)に浜松市
中沢
町に設立された,同九年には曳馬町にも工場を建設し、同十一年には東京セロファン紙と合併し、
中沢
工場は閉鎖した。
浜松市史 ニ
(真渕の父母)
の墓 教興寺】真渕の法名「梵行院浄阿光順居士」と連記した妻の墓は、もと伝馬町の教興寺にあったが、近年
中沢
町,賀茂真淵夫妻墓(浜松市
中沢
町 浜松市霊地)
浜松市史 ニ
(真宗)
齢松寺(後道、現在
中沢
町)開創は明応九年という。
浜松市史 三
(製糸)
巻数 生産額 明治11 紺屋町 太田勇次郎 手廻 40 17貫 〃 〃 〃 〃 20 9 〃 分器
中沢
浜松市史 ニ
(神主連祈祷)
翌十八日には恒武村の田辺筑後と天王村石津求馬の二人が代表して、前日祈祷の神札と供物を寺社奉行
中沢
利右衛門宅
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌
(浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)
遠州織物の芽生え 78 (二)染色の沿革 78 【岡染 硫化染料 西遠染色 常盤町 竜西色染整理
中沢
町,たち 82 【鍛冶町 板屋町 田中太兵衛】 82 (九)楽器産業、木工機械工業を起こす 83 【
中沢
町, 日本楽器製造 馬込町 日笠鉄工所 板屋町 柳川鉄工所】 83 【楽器の街のミュージックサイレン
中沢
町,の火ともし山(
中沢
町) 195 【徳川家康 三方ケ原合戦 大久保忠世 岡部政定】 195 ○ 椿姫観音, 勘馬 小野組】 217 【齢松寺
中沢
町 後道 本丸御殿跡】 218 【常楽寺
中沢
町 曳馬村阿弥陀
浜松市史 三
(蒲村)
和地山 和合の一部 浜松沢 2 〃5.5.1 曳馬村のうち 高林の一部 野口 八幡 下池川 船越一色
中沢
浜松市史 四
(神社の統合 墓地の移転)
大安寺の墓地は昭和二十六年度に、法雲寺の墓地は同二十七年度にそれぞれ
中沢
墓園に移転し、跡地は道路や住宅
浜松市史 三
(町制施行 敷知郡浜松町 大字制度)
(26か町村) 浜松町 (大字名省略) 浜松紺屋 曳馬下村 上池川 下池川 野口 八幡 一本杉
中沢
, 茄子一色 高林 島ノ郷 早出 十軒新田 細島新田 船越一色 上島(明24.6.11曳馬村と改称)
中沢
, 三方原村 三方原
中沢
天神町村 天神町 上中島 向宿 福地 馬込 佐藤一色 馬領家 塚越 名切
浜松市史 四
([電灯の復旧と電灯引き込み料金])
、北寺島、砂山、寺島、楊子、浅田、海老塚、森田、広沢、鴨江、上池川、和地山、高林、早馬、新津、助信、
中沢
浜松市史 三
(飯島魁 岡村輝彦 岡村竜彦)
飯島家の菩提寺は常楽寺(当市
中沢
町)で、岡村家の墓は四つ池にあった(大正二年『曳馬村誌』)。
浜松市史 三
(第四回 市議員選)
高) 第五区 定員二名(旧天神町村全部) 第六区 定員三名(船越一色・新・板屋・八幡地・馬込・早馬・
中沢
浜松市史 ニ
(農兵の役割)
有玉組合 14日~19日 三ヶ日〃 15日~21日 松島〃 16日~20日 入野〃 17日~18日
中沢
浜松市史 三
(神社の統合)
なお八幡宮(
中沢
町字勝坂下)は常楽寺の、六社神社(入野町本所)は龍雲寺の、日枝神社(元広沢町字古新)は
浜松市史 ニ
(岡村黙之助)
彼は郡手代として江州石寺村の陣屋に勤務中、大津に滞在した三州吉田大河内藩の郡奉行、
中沢
弥兵衛と懇意になり
浜松市史 三
(浜松の名所)
楠 (八幡宮) 颯々の松 (八幡宮東) 鳥居坂 (東伊場町) 龍山公残亭 (龍禅寺境内) 火灯山 (
中沢
町
浜松市史 三
(化学工業 写真フィルム 印画紙)
以上の他に化学工業としては合資会社浜松石鹸製造所(当市寺島町)・日本ビスコース工業株式会社(当市
中沢
町
浜松市史 三
(六月の空襲)
は殆ど全焼し、構内では爆弾を満載した軍用貨車が炎上し浜松警防団によって消しとめられたが、被害は旭町・
中沢
町
浜松市史 五
([大交番制度])
ここはこれまでの高林・助信・
中沢
・野口・船越の五派出所を統合したもので、巡査部長以下十二名が勤務することになった
浜松市史 四
([道路延長の急伸と街路計画の進展])
3.22 八幡植松線 八幡・植松 25 Ⅱ. 2. 5 海老塚白羽線 海老塚・白羽 16 Ⅱ. 2. 6
中沢
和田線,
中沢
・和田 16 Ⅱ. 1. 3 鍛冶元浜線 鍛冶・元浜 20 Ⅰ. 1. 6 龍禅寺中ノ町線 龍禅寺
浜松市史 一
(木寺宮領)
建武3 山内首藤文書 地頭職『あづまの道の記』に見える山内刑部少輔はこの子孫であろう (1336)
中沢
,天正18.12.26 常楽寺文書 (
中沢
町) (1590) (浜松市史史料編二) 鴨江・山田・助信村
浜松市史 三
([市政を荷なった人々])
昭和十一年九月没、五十七歳)・天野千代丸(当選四回、広沢町住、昭和十二年八月没、七十二歳)・池谷長太郎(当選三回、
中沢
町住
浜松市史 三
(最初の夜間空襲)
五月二十四日ははじめての夜間攻撃で全焼二百四十三戸、死者二人、二十五日は広沢町・
中沢
町方面に、二十九日
浜松市史 三
(シルケット法)
現在の馬込町)・龍西色染整理株式会社(大正三年から現在の東田町)・東陽興業株式会社(大正八年から現在の
中沢
町
浜松市史 三
(市営バスの誕生)
七年中村陸平市長時代に入るとようやく機運が熟し、市営乗合自動車事業(伊場・船越線、師範学校・天神町線、
中沢
浜松市史 三
(学校工場 勤労令 授業停止)
浜松市立 市立浜松高女 5 30 豊川海軍工廠 豊川市 死亡1 4 180 日本楽器浜松工場 浜松市
中沢
町,3 50 日本蚕糸浜松工場 浜北市中瀬 信愛学園 信愛女子商業 4 100 日本楽器製造KK 浜松市
中沢
町
浜松市史 三
(会社)
伝馬町 10(0) 新町 7(4) 旭町 7(0) 常盤町 7(2) 肴町 6(0) 北田町 6(0)
中沢
町
浜松市史 四
([野球ブームと各種大会])
市役所や国鉄などのほか、多くは企業のチームで、
中沢
町の日楽球場などで試合をしていた。
浜松市史 ニ
(浜松領の成立期)
・向宿・堀込・佐藤一色・馬込・野口・船越一色・茄子一色・新津・嶋郷・早出・上嶋・一本杉・高林・助信・
中沢
浜松市史 四
([鴨江寺の復興])
四宗教 史料24)には詳細な記事があるが、疎開先の気賀長楽寺から戻った建部快運は仮居宅のために、兼務する
中沢
町常楽寺
浜松市史 三
(浜松病院医会)
院長となった(天保九年佐賀蓮池藩士族、長崎医学校卒、明治三十六年十二月没、六十六歳、墓所は現在浜松市
中沢
町
浜松市史 三
(救護活動 戦災対策本部)
神立町 21 〃第15分団 野口町 22 〃第16分団 鴨江町 23 河合楽器 寺島町 24 日本楽器
中沢
町
浜松市史 三
(一月の空襲)
死者2人,重傷者1,軽傷者3人 全焼243戸,半焼9戸 16 20.5.25 〃 広沢町 上池川町
中沢
町,20.6.9 爆弾 曳馬町 (B29)1機,爆弾2箇 8.30 半壊1戸 19 20.6.10 〃
中沢
町
浜松市史 三
(大字制度 新町名)
東田・田・早馬・八幡の各町へ編入 野口町 のぐちまち 〃 野口 船越一色・八幡の各一部 一部を山下・
中沢
,新設 田・野口・八幡の各一部 山下町 やましたちょう 〃 野口・田・下池川・元城の各一部
中沢
町,なかざわまち 町をつける
中沢
野口の一部 上池川町 かみいけがわまち 〃 上池川 名残・高林・両追分
浜松市史 四
(土地利用計画)
高林和田線 高林町 和田村大字永田 細島町上西町 36 〃 (変更) 昭和29年に街路番号Ⅱ.2.6号
中沢
和田線,、起点
中沢
町80番地先、終点和田町永田1,174番地先、幅員16メートルとした Ⅰ 1 6 龍禅寺中ノ, 【墓園計画】 4 墓園計画 市内で焼失した寺院とその墓園を移転させるために
中沢
墓園
浜松市史 三
(織物関係 一般工業機械材料 特殊工業品生産品 日用品 運輸倉庫業 金融機関 その他)
会社は明治期には全くなく、Cの特殊工業品及び生産品に関する会社は四社あり日本楽器製造株式会社(三十年、
中沢
町
浜松市史 三
(原田浜人の俳歴 すその時代 みづうみ時代)
『みづうみ』は浜人没後もその高弟大橋葉蘭(新三、当市
中沢
町)によって継承されている。
浜松市史 ニ
(仕法掛役目)
瓜内の斎藤・恒武の小栗らが推進役となり、
中沢
の大庭平兵衛らの協力もえて進められたようである。
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