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浜松市史 三
(中田島 十軒)
中田島
十軒 【藺莚】また白脇村
中田島
白羽・福塚や曳馬村十軒新田・早出などでは太藺(ふとい)を栽培し /
中田島
十軒
浜松市史 三
(中田島 米津海岸 弁天島)
中田島
米津海岸 弁天島 【丑浜】浜遊びには
中田島
の魚釣と米津海岸の丑浜(土用の丑の日に海水を浴びて /
中田島
米津海岸 弁天島
浜松市史 四
([中田島での凧揚げ])
[
中田島
での凧揚げ] 【
中田島
浜松市連合凧揚会 五社神社】 昭和二十三年と二十四年の凧揚げは遠州灘,に面した
中田島
の特設会場で行われた。,23 浜松名物凧揚祭 浜松市連合凧揚会 5/3~5
中田島
海岸 33 46 統監部に青年会女性が入る。,24 浜松名物凧揚祭 浜松市連合凧揚会 5/1~5
中田島
海岸 42 54 初日に五社神社拝礼。,会場は前年同様
中田島
で行われた。 / [
中田島
での凧揚げ]
浜松市史 三
(浜松まつり 中田島砂丘 町ぐるみの祭典)
浜松まつり
中田島
砂丘 町ぐるみの祭典 戦後は凧揚げの道具・屋台(やたい)などを焼失した町が多かったが,そののち会場も和地山(わじやま)公園(旧和地山練兵場)・
中田島
砂丘などと二転三転したが、二十五年より市民,あげての行事として浜松まつりが開催されるようになると凧揚げもその一環として組入れられ、四十二年からは会場も
中田島
砂丘 / 浜松まつり
中田島
砂丘 町ぐるみの祭典
浜松市史 四
([永久橋の建設])
[永久橋の建設] 【永久橋 川田橋 瓜内橋 三島橋
中田島
橋 江之島橋 四郎五郎橋 西塚橋 浅田橋】,
中田島
砂丘に通じる
中田島
橋は川幅の広い馬込川に架かるため、江之島橋と並んで百メートルを超える長い橋であった,
中田島
橋は老朽化が進み、昭和三十一年から車両の通行が不可能となっていた。,図3-6
中田島
橋
浜松市史 ニ
(馬込川の禁猟)
馬込・船越・茄子一色・細嶋・早出・十軒新田・嶋之郷・上嶋・欠下・上瀬・楊子・三嶋・瓜内・浅田・白羽・
中田嶋
村,村名 漁船 小沢渡 4 堤 1 米津 5 法枝 1 田尻 1 新橋 3 白羽 2
中田嶋
2 江之嶋,4 福嶋 4 平左衛門新田 2 西嶋 7 松嶋 7 13 43 村名 川船 白羽 5
中田嶋
7
浜松市史 三
(浜松混声合唱団 佐々木すぐる)
【月の砂漠】その作「月の砂漠」は遠州灘の
中田島
砂丘(当市
中田島
町)に曲想を得たものといわれる。
浜松市史 一
(砂丘)
砂丘 【
中田島
砂丘】とくに
中田島
海岸には見事な砂丘が発達している。,遠州灘海岸の砂丘(浜松市
中田島
町)
浜松市史 三
(乗合バス 浜松循環自動車会社)
【佐鳴湖
中田島
】浜松循環自動車会社は、昭和九年二月には佐鳴湖遊園バス株式会社(昭和五年八月設立)を合併,し、また翌十年には
中田島
自動車株式会社(昭和五年十月設立、浜松駅と
中田島
間を二〇銭で運行)の経営を委託
浜松市史 三
(行楽地)
浜遊(米津浜・白羽浜) 夏 蓮花(平田の蓮池・浅田の蓮池) 螢狩(浅田その他近郊) 船遊(
中田島
,・浜名湖) 海水浴(弁天島・
中田島
) 秋 観月(天守閣・高町半僧坊) 鴨狩(浜名湖) 茸狩(
浜松市史 三
(市営バスの誕生)
【二社路線買収 十銭均一】このため市は十一年に至り従来の計画を廃し、既設の浜松循環自動車株式会社と
中田島
自動車株式会社,北廻線 浜松駅 千歳 平田 伝馬 元城 山下 高林 助信 野口 浜松駅 (相互循環) 6.5 38
中田島
線,浜松駅
中田島
(夏季6か月季節運転) 4.9 5 佐鳴湖線 浜松駅 中山町 高町 広沢 小薮(夏季3
浜松市史 五
([アカウミガメの保護運動])
[アカウミガメの保護運動] 【アカウミガメ】 市内の
中田島
海岸に、ウミガメ(アカウミガメ)が上陸,
中田島
海岸を含む浜松海岸とアカウミガメとが、浜松市教育委員会から市の文化財(天然記念物)に指定されたのは,なお、指定後のこの年の五月六日、前記の浜松サンクチュアリ協会は、
中田島
海岸においてアカウミガメの新ふ化場
浜松市史 四
([近隣の行楽地])
[近隣の行楽地] 【岩水寺
中田島
佐鳴湖観光協会 秋葉詣で 天竜下り 天竜観光協会 北遠振興会】,二十五年七月二十四日付の『静岡新聞』には
中田島
と新津の海岸、佐鳴湖が海水浴場としてにぎわっていることが,
中田島
への市営バスは昭和二十二年に再開、佐鳴湖(小藪)への市営バスも二十四年から運行を開始し、海水浴客
浜松市史 四
(ソフトボール)
中田島
砂丘にサンドスキー場が出来てサンドスキーが楽しめるようになったのは昭和三十三年七月、ただこれはスポーツ,とは言えず、
中田島
でのお遊びであった。
浜松市史 五
([大規模な団地と分譲マンション])
[大規模な団地と分譲マンション] 【
中田島
団地 鷺の宮団地 遠州浜団地】 高度経済成長によって、,細分化(核家族化)により住宅の数の不足はなかなか解消できず、昭和三十二年度から同三十五年度にわたり、
中田島
団地,
中田島
団地はサンドスキー等の観光地として開発中の
中田島
海岸に隣接し、市中心部から市営バスで二十分と交通
浜松市史 一
(安政の被害)
【米津村 白羽村
中田島
村】浜松の近郊をみると、米津村二十七軒皆潰、白羽・
中田島
辺では泥水が吹き出した
浜松市史 ニ
(海防案)
手紙の一番手は松嶋・西嶋・福嶋・江之嶋海岸、二番手は法枝・米津・新橋・堤・小沢渡海岸、三番手は白羽・
中田嶋
海岸,【防備】また海岸についても、一例をあげると
中田嶋
・白羽・田尻・米津・法枝・新橋・堤・小沢渡の八か村の海岸,そして塩新田から西平松村、松嶋村から江之嶋村、
中田嶋
村から小沢渡(こざわたり)村にいたるあいだの四か所
浜松市史 五
([多彩な美術界])
平成二年から
中田島
砂丘を撮影し始める。平成十二年、写真集『
中田島
砂丘』を刊行。,以後、写真集として『風』 「
中田島
砂丘」に魅せられて。,(平成十三年)、『砂丘―
中田島
の四季―』(平成十五年)、『風の舞う丘』(平成十七年)の三冊を刊行する。
浜松市史 ニ
(神主隊編成)
同村八幡宮で毎月六の日を稽古日と決めて、世話役に万斛村鈴木主水・伊場村岡部次郎左衛門・羽鳥村松島豊後・
中田嶋
村大石長門
しらわき 川と海に育まれて:わが町文化誌
(浜松市立白脇公民館『しらわき 川と海に育まれて:わが町文化誌』 目次)
浜松市立江南中学校 189 三 幼児教育 191 (一)浜松市立白脇幼稚園 191 (二)
中田島
幼稚園,265 (三)瓜内町たこ揚会 266 (四)白羽町浜松まつり凧揚げ会 267 (五)
中田島
町凧揚会,272 (一)三島町 272 (二)寺脇町 273 (三)福塚町 274 (四)
中田島
町,(三)竜が現れた竜が崎(瓜内町) 280 (四)行塚(楊子町) 281 (五)文五郎橋(
中田島
町
浜松市史 一
(伝浜松南方海岸出土銅鐸)
南方海岸といえば
中田島
砂丘地帯であるから、本銅鐸は砂丘の一角に埋蔵されていたのであろうか。
浜松市史 三
(白脇村)
白脇村 白脇村は町村制施行によって瓜内・白羽・
中田島
・楊子・三島・寺脇・福塚・寺島・龍禅寺の九か村を
浜松市史 五
([駅前バスターミナルの完成])
市営バスの路線のうち二路線(米津線と浅田
中田島
線)については、遠鉄に移管された上で同日から北口バスターミナル,バスターミナル出口が接続する曳馬
中田島
線へは左折しか出来なかったため、当初は南部方面の路線を運行するバス
浜松市史 三
(明治初期の漁業税)
掛塚村 30 大柳村 4 鼠野村 2 御給村 1 四本松村 1 三新村 1 瓜内村 1 寺脇村 2
中田島
村
浜松市史 ニ
(安政地震)
白羽村・
中田嶋
村方面では地面に生じた亀裂から噴出した泥水のため脛まで没したという(『変化抄』)。
浜松市史 ニ
(遠州灘海岸)
遠江国風土記伝』は「米津 漁猟場」とあり「自向宿・福地・上中嶋・馬領家・三嶋・楊子・瓜内・寺脇・白羽・
中田嶋
以下福塚
浜松市史 三
(蒲村)
十軒新田 島之郷 新津 茄子一色 5 〃14.7.1 富塚村 富塚 和合 段子川 白脇村 寺脇 福塚
中田島
浜松市史 五
([浜松まつりの見直し])
【和地山公園
中田島
会場】 まつりの会場については、浜松まつりが始まった昭和二十五年から和地山町の,その後市当局、浜松商工会議所、自治会連合会などが協議し、昭和四十二年に会場を
中田島
海岸に移すことにした,
中田島
会場は三万三千平方メートルと面積も広く、会場近くには電線も民家もなく、砂地に土を入れて地盤を改良,・凧揚げ会場を
中田島
海岸に移転。,・浜松バイパスの完成によって、市内中心部と
中田島
との交通緩和。
浜松市史 三
(太藺莚 蓮根 注連作 花売)
太藺莚 蓮根 注連作 花売 農家の副業として特異なものに、十軒新田・
中田島
・福塚・白羽の太藺(ふとい
浜松市史 一
(自然環境編)
二六 高塚の蓮池(浜名郡可美村) 二八 遠州灘海岸の砂丘(浜松市
中田島
町
浜松市史 三
(浜松鉄道株式会社)
(但し 板屋―気賀間) なお昭和初期の私鉄建設計画に南海鉄道(昭和二年浜松砂山と
中田島
,を結び観光地とする案)・浜松臨海鉄道(昭和五年
中田島
を観光地とし映画撮影所を誘致する案)・篠原と掛塚間軽便鉄道
浜松市史 三
(道路網計画)
1,224 〃6年 成子・若林 936 〃7年 2,250 砂山・飯田 855 〃7年 松江・
中田島
浜松市史 四
([市内線の運行拡大])
昭和二十二年八月一日からは東廻線と北廻線の一部の折り返し運転と
中田島
線の運転が再開され、同年九月にようやく
浜松市史 四
([道路延長の急伸と街路計画の進展])
板屋中ノ町線 板屋・中野町 25 Ⅱ. 1. 6 浅田明神野線 浅田・可美 20 Ⅱ. 2. 1 旭
中田島
線,砂山・
中田島
16 Ⅱ. 1. 7 伊場可美線 西伊場・可美 20 Ⅰ. 3. 4 伝馬雄踏線 伝馬
浜松市史 ニ
(城下のにぎわい)
伊能忠敬 測量日記】ちなみに伊能忠敬は享和三年三月二十四日遠州海岸(松嶋村より福嶋村・西嶋村・江之嶋村・
中田嶋
村
浜松市史 三
(篠原村)
35 183 30 30 10 9 江ノ島 50 281 41 41 14 15 白脇村
中田島
浜松市史 五
(西遠流域下水道計画事業)
ここは西遠処理区と呼ばれ、昭和五十五年から江東地区の一部と
中田島
団地で(特定環境保全公共下水道事業としての
浜松市史 五
(ごみ処理施設)
【静ヶ谷最終処分場 粗大ごみ破砕施設】 これまで不燃物の埋め立て処理は和光・
中田島
・呉松の埋立地で
浜松市史 五
([有線放送電話の普及と団地電話の開通])
こうした団地の電話需要に対応するため、遠州浜団地や
中田島
団地には昭和四十三年三月に団地自動電話が設置されたが
浜松市史 ニ
(助郷村の困窮)
その中でとくに困窮度の高いのは入野・寺脇・福塚・
中田嶋
・植松・西塚・原嶋・薬師・橋羽・長鶴・永田・蒲下
浜松市史 ニ
(編成と配置)
伊庭村 三島村 金原上総 白尾藤左衛門 岡部治郎左衛門 土屋左門
中田嶋
村
浜松市史 五
([松くい虫の被害と対策])
同四十六年以降になると被害を受ける地区が増え始め、昭和四十九年からは
中田島
の海岸林、三方原の防風林、舘山寺
浜松市史 四
(『ぢえいむすぺいとん号』)
この時、ちょうど遠州灘を航行中の船が遭難し、現浜松市の表浜
中田島
地続き、当時の長上郡福島村の海岸に漂着
浜松市史 四
([依然続く住宅難])
浜松市南部の
中田島
砂丘付近での住宅建設は、昭和三十一年年度の三十戸を皮切りに三十二年度は七十戸、三十三年度,35出典:『浜松市勢要覧』昭和30年、34年、35年版、『浜松市統計』No.20より作成 注:*は
中田島
住宅団地
浜松市史 ニ
(浜松領の成立期)
・富塚・入野・伊場・東鴨江・若林領家・若林・増楽・小沢渡・堤・新橋・法枝・田尻・明神野・浅田・白羽・
中田嶋
浜松市史 ニ
(農兵隊編成)
堤 1 新橋 1 1 法枝 1 田尻 1 1 白羽 2
中田嶋
浜松市史 五
(浜松まつり)
この参加町数の激増期の昭和六十年四月十七日に
中田島
町の凧揚げ会場の近くに浜松まつり会館が開館した(『新編史料編六,60年 91 272 ・4月、市は浜松まつり会館を
中田島
町に開設。まつりの期間以外で
浜松市史 ニ
(漁業と貢租)
正徳二年(一七一二)
中田嶋
・白羽村は舟役を、法枝・田尻・新橋・堤・小沢渡村では小網役を勤めている。
浜松市史 四
([行事の復活と修学旅行])
[行事の復活と修学旅行] 昭和二十二年の春になると浜松第一中学校では全校で
中田島
方面へ遠足に出掛けた
浜松市史 三
(市内道路の改良)
3.8 2 浜松・神久呂村 浜松・五島村 浜松・新津村 7年完成予定 昭和7 1 市道
中田島
線改良
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