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浜松市史 一
(当市内の徳川氏の氏神)
当市内の徳川氏の氏神 【
五社神社
諏訪神社
】なお徳川氏の氏神は、
五社神社
とか
諏訪神社
だともいわれる(,慶長十五年(一六一〇)十月、彦坂光正の判物写には「浜松御社大明神領之事」(「
五社神社
文書」『浜松市史史料編二,当市内利町(とぎまち)の
五社神社
がこれで、相殿(あいどの)には応神天皇と家康とをまつる。 ,
諏訪神社
は家康が永禄十一年遠州入りの時から信仰しているという(『浜松
諏訪神社
社家由緒』)。
浜松市史 四
(神社の統合 墓地の移転)
神社の統合 墓地の移転 【
五社神社
諏訪神社
】 浜松の旧市内には多くの社寺があり、寺院にある墓地,神社のうち合併したものは
五社神社
と
諏訪神社
で、旧
五社神社
内に
五社神社
諏訪神社
と改称し、仮社殿を建てた。,
諏訪神社
の跡地は後に市が買収し、浜松市民会館が建てられることになる。
浜松市史 四
([社殿再建築の動き])
【
五社神社
諏訪神社
】 戦前には近世以来の社格の伝統を有し、独立した社殿を構えていた,
五社神社
、
諏訪神社
では、昭和十三年に
五社神社
が修復竣工、同二十年に
諏訪神社
が修復竣工した直後、同二十年六月十八日米軍,戦後、まず昭和二十三年に
五社神社
仮殿ができ、同三十五年には
五社神社
と
諏訪神社
が合祀されて
五社神社
境内に,するものであったが、浜松の産業界や団体・個人の寄付に拠ったものという(浜松市立中央図書館・浜松読書文化協力会編「
五社神社
,・
諏訪神社
の歴史展」)。
浜松市史 四
([神道指令と神社の諸問題])
[神道指令と神社の諸問題] 【
五社神社
諏訪神社
氏子総代 公職追放】 日中戦争から太平洋戦争に,拡大した時代において、
五社神社
・
諏訪神社
は国家神道下の浜松の総社として位置付けられていた。,に収斂(しゅうれん)していく(湯浅隆「二
五社神社
、
諏訪神社
の成立過程」、斉藤新「四 近代の
五社神社
と,
諏訪神社
」『調査研究報告書
五社神社
・
諏訪神社
社殿等修理関係資料本文篇』 東京国立博物館 参照)。,右の全七カ条で述べられた問題点は、
五社神社
・
諏訪神社
特有の問題点ではない。
浜松市史 三
(五社と諏訪 井伊谷宮)
の整備による神官の世襲禁止と上知令とは神社の経済的基礎を失うことであり、ことに徳川家の庇護の厚かった
五社神社
,と
諏訪神社
(いずれも浜松利町、朱印高三〇〇石)などはその打撃が大きかった。,邸宅は平野家の所有となった)は失職し、村社となった
諏訪神社
の大祝杉浦家(譲―幹―正幹。,
諏訪神社
(浜松市利町,現在市民会館敷地)
浜松市史 ニ
(諏訪明神社)
諏訪明神社 諏訪明神社(当市利町、
五社神社
諏訪神社
)五社明神社の南隣にある。,慶長十九年十月と翌二十年(元和元年)二月に、また三代将軍家光は寛永十一年七月にこの両明神を参拝している(「
諏訪神社
延宝三年棟札,内田旭「浜松
諏訪神社
と大祝杉浦家」『静岡県郷土研究』第十三輯)。
浜松市史 ニ
(高力忠房)
五社神社
諏訪神社
(両社は昭和三十五年から
五社神社
諏訪神社
という)には忠房の寄進した石の手洗鉢二基がいまも,高力摂津守忠房寄進手洗鉢(浜松市利町
五社神社
諏訪神社
) 幕府は忠房が島原に移封と決定したとき
浜松市史 五
(神前奉納)
神前奉納 【浜松茶農協】 平成九年五月二日付記事では、利町(とぎまち)の
五社神社
諏訪神社
へ初摘,他方、葉茶ではなく、煎茶を点じて
五社神社
諏訪神社
神前に奉納するという記事は、恒例ながら平成十三年九月十一日付,【針供養】 平成五年二月九日付記事では、二月八日、
五社神社
諏訪神社
に裁縫の上達を願う針供養があったと,【居合道】 平成十四年二月十一日付、同十五年二月十八日付、同十六年六月七日付記事では、
五社神社
諏訪神社
,初めて
五社神社
諏訪神社
で奉納演武を行ったのは、平成十四年二月十日であった。
浜松市史 ニ
(地勢)
沖積平野に形成された浜松市街の甍(いらか)がならび、南側は河岸段丘が低くのびて常寒山(とこさむやま)(
五社神社
諏訪神社
浜松市史 五
([習俗を生きる])
【
五社神社
諏訪神社
】 平成六年四月二十八日付記事では、
五社神社
諏訪神社
が徳川秀忠の産土神を祭る
浜松市史 ニ
(森暉昌)
光海霊神】賀茂真渕の撰になる、暉昌の事績を記した光海霊神(うなてりのみたま)(暉昌の諡号)の碑銘は、いま
五社神社
諏訪神社
浜松市史 ニ
(五社明神社)
五社明神社(当市利町、
五社神社
諏訪神社
)創立年代不詳。
浜松市史 ニ
(祭礼)
蒲神明宮 元旦 (田打) 賀久留神社 2. 14 (田遊) 子安神社(富田) 4. 16
五社神社
,(利町) 5. 4
諏訪神社
(利町) 5. 4 松尾神社(元魚町) 6.
浜松市史 三
(市民の集会場)
市民の集会場 これまで市民の集会場には、利町
五社神社
境内の演武館とか元城町の浜松報徳館などの建物を借用,するばかりで独立した会場がなかったが、市民の要望により昭和二年二月に始めて市立の公会堂が浜松利町の
諏訪神社
浜松市史 三
(六月十八日の大被害 全市火の海 見渡すかぎりの焦土 公式発表 米軍記録)
全焼一万六千十一戸に達し、罹災者数約五万六千名、浜松市役所・市の枢要(すうよう)な機関をはじめ国宝建造物の
五社神社
,・
諏訪神社
も焼失した(浜松空襲・戦災を記念する会発行の『浜松大空襲』には市民の空襲体験談が記載されている, 浜松憲兵分隊 松菱百貨店 浜松工業試験所 中部瓦斯株式会社 浜松図書館 社寺 学校 利町
五社神社
,(国宝) 浜松工業専門学校 利町
諏訪神社
(国宝) 県立浜松工業学校 県居神社 県立第二工業学校
浜松市史 四
([敗戦と神社])
五社神社
(利町)・
諏訪神社
(利町)・県居神社(東伊場町)・松尾神社(元魚町)・秋葉神社(三組町)・東照宮
浜松市史 四
([盛大になった浜松まつり])
【浜松市観光協会
五社神社
の御輿渡御 復古調】 これまで浜松まつりの主催者は浜松まつり,まつりの正式行事ではなかったが、この年の五月四日に戦後初めて
五社神社
の御輿渡御が行われた。,同日午前十時に
諏訪神社
、十一時に
五社神社
の大祭が行われ、午後一時から御輿と神宝に奉仕する行列が
五社神社
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌
(浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)
る 169 第五章 伝説・昔話・神社仏閣・名所旧跡 175 一 伝説と昔話 176 ○
五社神社
, 小柳丈之助 夢告げ地蔵】 201 二 神社仏閣・名所旧跡 203 (一)神 社 204 【
五社神社
,
諏訪神社
利町 徳川家康 徳川秀忠 徳川家光 中島町】 204 【東照宮 元城町 井上八郎 引馬城,煙草専売局支所 日本たばこ産業】 432 14 児童文学者巌谷小波の来浜 【元城小学校 浜松商業高校
諏訪神社
, 演武館】 452 【
諏訪神社
遠州電気鉄道本社ビル 旭町駅 中村與資平】 453 21 乗合馬車
浜松市史 ニ
(写真・図版目次)
慶長六年浜松伝馬朱印状 (東大史料編纂所蔵) 九七 高力摂津守忠房寄進手洗鉢(浜松市利町
五社神社
諏訪神社
,) 五五三 徐生梅の句 文政五年歳旦歳暮 (浜松市城北 塚本五郎氏蔵) 五五八
五社神社
拝殿正面欄間彫刻
佐鳴の風:わが町文化誌
(浜松市立佐鳴台公民館『佐鳴の風:わが町文化誌』 目次)
賀茂真淵 87 【賀茂神社 縣居神社 東伊場】 87 (二)杉浦国頭・森暉昌・柳瀬方塾 89 【
諏訪神社
,
五社神社
神官】 90 (三)竹村尚規・本居大平・竹村広蔭 93 【竹村家 竹村尚政 方壺 竹の
浜松市史 三
(写真・図版目次)
県立浜松北高等学校提供) 一二四 浜松漫録 内容 (浜松市高林町 飯尾哲爾氏蔵) 一二八
五社神社
, 一六四 谷島屋書店(浜松市連尺町、明治三十年頃) 一六五
諏訪神社
解説「浜松城絵図と城下絵図」
(解説「浜松城絵図と城下絵図」)
徳川秀忠の産土神である
五社神社
はもと浜松城二の丸にあったといわれるが、その名残を示すものであろう。,【寺社(桃)】 神社では、
五社神社
、
諏訪神社
の前面の切り石積石垣(
五社神社
の石垣は現存)、
諏訪神社
の,
五社神社
参道と
諏訪神社
参道に挟まれた区域に、やや大きな建物が描かれる。,【寺院】
五社神社
や
諏訪神社
の境内の石垣や社殿の配置が詳細に描かれ、東海道からの参道入り口に鳥居があったこともわかる
浜松市史 四
(主な参考文献)
卒業記念『無題』浜松高工応用化学科第二十二期生 『つばくろ』浜松高工南寮文化部 調査研究報告書『
五社神社
,・
諏訪神社
社殿等修理関係資料』東京国立博物館 『静岡県神社庁四十年誌』静岡県神社庁 『蒲のふるさと
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