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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

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浜松市史 三 (井上八郎)

井上八郎 井上八郎、号は延陵、延岡藩に文化十三年(一八一六)九月生れ、江戸へ出て千葉周作に剣を学ぶ。 / 井上八郎
浜松市史 三 (浜松奉行所)

浜松奉行所 【二年正月 井上八郎】浜松地方について述べると明治二年正月に浜松奉行所が浜松城内(三の丸,)におかれ、浜松奉行として井上八郎が、添奉行として田村弘蔵が着任した。
浜松市史 三 (開拓反対 開拓の本格化)

開拓反対 開拓の本格化 そこで気賀林は二十二日井上八郎に二十五棟はすでに普請進行中でその経費も立替払,折返し井上八郎からは「必々不都合ハ為致間敷候間」この上とも尽力してもらいたい、いずれ静岡より連絡あり次第,これは井上八郎・田村弘蔵・岩井宜徳(気賀林)の名にちなんだものである。
浜松市史 三 (堀留運河の計画)

【浜松奉行井上八郎】いずれにせよ当時、浜松地方へ移住の旧幕臣たちの生活対策に苦慮していた駿府藩は、その,解決の一方策としてこれを採用するに決定し、出先機関の浜松奉行井上八郎(延陵)に、その衝(しょう)にあたらしめることになった,【浜松商人】会するもの浜松勤番組頭井上八郎・同副田村弘蔵をはじめ気賀林などで(浜松奉行所は明治二年九月廃止
浜松市史 三 (工事の実施 労力奉仕)

であったが、時期を繰り上げ(その理由は明らかでないが廃藩置県の直前であった)、予定の借地は中止とし、井上八郎
浜松市史 三 (開拓の進捗)

なおこのとき井上八郎・田村弘蔵の両名は気賀往還通四丁目から十三丁目までの借地権を、気賀林は同通の十四丁目
浜松市史 ニ (工事の進行)

の新川の掘立工事は、はたしてどれだけできたものであろうか、明治四年(一八七一)のこと、徳川藩浜松奉行井上八郎
浜松市史 ニ (報国隊分裂)

徳川藩は赤・報両隊員の東京移住をなんとか、思いとどまらせようと、浜松奉行井上八郎(延陵)や中泉奉行らを
浜松市史 三 (開掘計画案)

そして伺書の届出人は井上八郎・田村弘蔵の両名であった(田村は明治九年浜名湖西岸吉美村五田川河口で運河開鑿
浜松市史 三 (開拓着手)

開拓着手 【二年】藩論決定により、府中を代表して浜松奉行井上八郎、同添奉行田村弘蔵および長山晋之助の
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌 (浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)

 交  通 105 (一)東海道と浜松宿の交通 105 (二)明治時代の浜松の交通 106 【井上八郎,【五社神社 諏訪神社 利町 徳川家康 徳川秀忠 徳川家光 中島町】 204 【東照宮 元城町 井上八郎
学びの里祈りの丘:わが町文化誌 (浜松市立県居公民館『学びの里祈りの丘:わが町文化誌』 目次)

釣堀 菅原町】 129 【根上り松・十九番の川 鴨江寺 天然記念物 月見山】 129 【堀留運河 井上八郎
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