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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ
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浜松市史 一
(信長と天竜川)
【本坂越
今切渡
】彼らは本坂越・
今切渡
で帰途につく。
浜松市史 一
(家康の渡舟規定)
【
今切渡
の管理】浜名湖が太平洋にひらく湖口四キロに近い
今切渡
(後藤長徳は、享禄年中(一五二八-一五三一
浜松市史 ニ
(今切の渡し)
今切の渡し 舞坂宿からは、いわゆる
今切渡
海で、浜名湖を舟で渡らねばならなかった。
浜松市史 ニ
(宝永の地震)
津浪(つなみ)のため
今切渡
船が杜絶し東海道往復の旅客は姫街道筋に奪われ浜松宿が困窮したことはすでに述べた
浜松市史 ニ
(姫街道の名称)
その二は舞坂・新居間一里にわたる
今切渡
船の湖上の危険をさけたためというのであるが、土地の諺にも「鳶も舞坂
舞阪町史 上巻
(舞阪町史 上巻 目次)
道中筋条目 五街道 第二節 享保改革期の交通政策 502 享保改革の理念 享保改革の方針変更 元文改鋳と
今切渡
船収支,第三節 渡船参画運動と宝暦・天明期の交通 527 延享四年の道中筋条目
今切渡
船の運営権をめぐる訴訟
浜松市史 ニ
(報国隊帰郷)
ついで隊員は宮を舞坂宿
今切渡
まで見送り、山本金木と竹山主水の二人は、隊を代表して新居宿本陣まで出頭、舞坂海苔五帖
浜松市史 一
(交通政策の焦点)
【家康のばあい】徳川家康は、天竜川・馬篭(込)川・浜名湖・
今切渡
・新居渡など、国内のおもな大河川の渡船
浜松市史 一
(当時の紀行文)
九月二十日白須賀・
今切渡
・舞坂で一宿。今切の渡で京都下京の商人に書状をたくした。二十一日発足。
浜松市史 一
(水運政策)
【
今切渡
の造船】永禄五年(一五六二)今切の渡船の造船には、いままで免除であった神社の境内の木材六本を切
浜松市史 ニ
(漁業と貢租)
これは一例にすぎないが、いつでも大通行の際には新居宿だけでは
今切渡
船の常備船が不足したからである。
解説「国絵図」
(解説「国絵図」)
<
今切渡
船と関所・御殿> 新居宿が、半島状に東へ突き出たところに立地するが、これは元禄高潮や宝永地震,
今切渡
船航路付近では、弁天島が描かれていない。,
今切渡
船航路付近に弁天島が描かれていないのは、①図と同様である。 ,<
今切渡
船と関所> 新居宿は、②図に比べ、西へ後退した状態をより明確に示す。,
今切渡
船航路付近に弁天島が描かれていないのは①図と同様である。
浜松市史 一
(被害状況)
また、この地震によって、
今切渡
舟杜絶し、東海道が困難となり、旅人は本坂越をするようになり、浜松宿の休泊者激減
しいの森はぎの原:わが町文化誌
(浜松市立北部公民館『しいの森はぎの原:わが町文化誌』 目次)
】 17 【姫街道の松並木】 18 【姫街道のいわれ 官道 本坂道 防人 万葉集 物部古麻呂
今切渡
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